2016年1月27日水曜日

2016.01.26 ダイスキンを使い終えた

● 先月11日から使い始めて,今日使い終えた。正確にいうと,Seriaで買った“BLANK NOTE”を使い始めたんだけど,どうも馴染めなくて数日後にダイスキンに戻したんだけどね。
 ともかく,47日間もった。

● 47日間ももったのは初めてかもしれない。その理由はあまりにも明らかで,Twitterを始めたことによる。ツイートする分,ダイスキンに書くのが減った
 これも厳密にいえば,ダイスキンに書く内容とツイートの内容はさほどかぶらない。のだけれども,ダイスキンを開く物理的な時間は明らかに減った。

● 今のところは,ダイスキンに書くよりTwitterにあげるほうに面白さを感じている。まだ始めてさほど経っていないので,面白くてしょうがない時期なのだろうと思う。
 いずれ落ちつく。となれば,またダイスキンは30数日間で使い終えるようになるだろう。そうなりたいと思っている。

● で,ダイスキンなんだけど,よほどのことがない限りはこれからもダイスキンを使い続けることになるだろう。
 Preppyで裏に写らないだけで,モレスキンに勝る。余計なものが付いていない。じつにシンプル。そして安い。

● ダイスキンのお得感というか格安感は,モレスキンあってのものですね。1,700円もするモレスキンがあるから,108円のダイスキンの安さが際だつ。
 ダイスキンってダイソーの文具売場の中でも,図抜けて安いなと感じる製品だけれども,これはモレスキンの価格を知っているからだ。

2016.01.25 高田明さんの万年筆-読売新聞の記事

● 今日の読売新聞に載っていた記事。
 飛行機の中で万年筆をなくしてしまった。「諦めて別の万年筆を使ったものの,今一つ気持ちが乗らない」。結局,1週間後に見つかり,航空会社が送ってくれた。
 航空会社も立派だね。

● 高田さんが言うには,ボールペンでは細い線しか書けない,でも「強い思いは大きく書きたい」,万年筆なら「思いと同じ質感が,線の濃淡や太さで出せる」。
 でも,万年筆といえども,そこには限界がある。そこを貫きたいなら筆ペンしかないような。

● ちょっと試してみたんだけど,ぺんてるプラマンでもちょっと難しい。呉竹のLetter Penならかなり柔軟に対応してくれそうだ。
 が,高田さんもそういうものを使うつもりはないはずで,万年筆でなければならないのだろう。

● 失礼ながら,「思いと同じ質感が,線の濃淡や太さで出せる」というのは,使ってから気づいた万年筆のメリットであって,当初は別の理由,たとえば質感やデザイン,で使い始めたのではなかろうか。
 だから,自分が望む機能だけでいうなら万年筆以上のものがあっても,それは選択肢に入らない。そういうことではないかと推測する。

● ぼくも万年筆ユーザーだ。泣く子も黙るPreppyのユーザーだ。けれども,目下使用中のPreppyをなくしても,高田さんのような喪失感を味わうことはないだろう。
 値段の問題もある。予めそんなに長くは持たないと思って使っているからでもある。予備を買ってあるんだから,それをサッとだして使うことになるだろう。

● 思いがこもっているから,なくしたときの喪失感が大きくなる。その品にどれだけ思いをこめられるか。それは,その品とユーザーの共同作業になるのだろう。
 ぼくはPreppyをかなり酷使していると思うんだけれども,200円でオールプラスチックの品では,あまり思いがこもらないってことなのかな。

● モノを擬人化するのがいいのかどうかわからない。でも,ぼくはアニミズムが身についているようで(たぶん,ぼくに限らず,日本人はそれが多数派なのではないかと思う),モノにも命があると考えてしまうほうだ。
 Preppyにも命がある。だから,その命は尊重しなければならない。だけれども,モノの価格によって尊重度に違いが出てしまうんだな。

2016年1月21日木曜日

2016.01.21 紙に書くことをやめてはいけない

● 休日になると,ダイスキンを開くことがない。Twitterに書いて,Twitterばかり見るようになって,ノートを開くことが億劫に感じるようになる。
 そんな時間はないよって感じか。Twitterを見る時間はいくらでもあるんだけど。

● ダイスキンに書くこととTwitterに書くことはあまりかぶらない。どちらか一つあればいいということじゃない。にもかかわらず,そうなってしまう
 で,そういう状態が続くと,ダイスキンに書くのをやめてもいいかと思ったりする。

● ダイスキンをやめて情報カードに書くことにするか。ブログのネタを書き留めておくのだったら,カードのほうが扱いやすい。キッチリと分類するのではなく,ゆるやかに区分けしておく。
 ネタにしたものは捨てていく。のではなくて,斜線を引いて使用済みであることをわかるようにして保存する。そうじゃないと,同じことをまたカードに書いてネタにするに違いないから。
 せっかくジョッターまで買っているんだから,使わなきゃもったいないしな。

● でも,ダイスキンも10年分の在庫がある。赤ダイスキンなんかA6,B6合わせると50冊近くあるんじゃないか。そっくりもらってくれそうな元同僚にもらってもらおうか。

● こういうブレはTwitterにかまけて,ダイスキンを開かなくなったことの反映かもしれない。しっかりとダイスキンに書くようになると,これでいいのだとなるのだろうな。
 ネタ帳やアイディアを溜めていくにはカードがいいけれども,感情をぶつける,吐きだすのならノートがいい。日記を書くのもカードよりノートがいい。
 要するに,不定型なものは綴じノートの方が収まりがいい。

● やっぱり,紙に書くことをやめてはいけないな。

2016.01.20 手帳効果

● 日常の些細なことをTwitterでつぶやいている。それがそのまま生活ログになっている。日記のようなものだ。それを見れば,その日,自分がどう過ごしたかおおよそわかる。
 けれども,だからといって,手帳は要らなくなるかというと,そういうわけではない。

● もともと手帳はスケジュール管理のためというよりも,その日のログを残すために使っていた。手帳だと1週間分を一覧できる。その状態になっているのといないのとでは,だいぶ違う。
 ある特定のデータを一覧できるかどうか。これはけっこう大きな違いで,その一覧という点において手帳には圧倒的なアドバンテージがある。

● 紙に日記を書く場合でも同じですよね。日記を書いているからといって,(手帳でスケジュール管理をしていなくても)手帳は要らないかといえば,そうではない。
 日記は読みものにはなるかもしれないけれども,パッと見て過ぎた日々を想起させる効果はない。これは手帳に限る。

2016年1月17日日曜日

2016.01.15 ダイソーの気になる商品

● セキチュー岡本店で地球儀を買ったあと,隣のスーパー「とりせん」の中にあるダイソーを覗いてみた。いつも行くララスクエア店とは違って,こぢんまりとしたダイソーだ。
 商品棚の配列も違っているので,見逃していた商品にこうした小さな店で気がつくことがありますね。

● 今回,オヤッと思ったのは次の2つ。
 ひとつは,75×125㎜の単語カード。っていうか,袋には多目的カードと印刷されていた。5㎜方眼で100枚。メイド・イン・カンボジア。
 これなら“とっさの時用”のメモ帳として使えそうだ。書いたらリングからはずしてカードボックスに立てておけばいい。

● Seriaにはこれより少し大きいサイズのものが前から販売されていて,ぼくもひとつ購入済みだ。
 が,まず使うことがない。“とっさの時用”のメモにはロディア(No.11)カバーにはさんだメモパッドを一応用意して,スタンバイさせているんで。
 だから,ダイソーの“多目的カード”を買っても,使うかと言ったら,まず使う気遣いはないんですよね。

● もうひとつは,イエローパッドだ。B6とA4があった。B6は50枚のが2冊セット。これで108円か。こちらはメイド・イン・インドネシア。
 最近,ANGERSでも伊東屋でも,手に取ってみるのはリーガルパッドホルダーくらいだ。リーガルパッドに限らず,昔の言葉でいうとレポート用紙をはさむためのホルダー。いろいろ出ている。
 そういったものを手にとって,これを使いこなしている自分を脳内で描いてみるわけだ。

● 50枚なら厚すぎない。ホルダーにはさんでおくのも容易だ。ダイソー製品なら価格を気にせず使い倒していけるだろう。
 主には職場で使うことになりますね。

● が,これもぼくには要らないものだ。それがわかっているので,結局,購入には至らない。
 こういうものをビシバシと使えている人はすごいなぁと思って,すごすごと退散することになるんだよね。

2016年1月16日土曜日

2016.01.15 地球儀を買った

● 地球儀は文具のひとつに数えていいのか。『銀座・伊東屋 文房具 BETTER LIFE』には載っていたので,文具のひとつということにしておく。

● 初めて地球儀を持ったのは小学生のときだ。学校の図工の時間で作った。地図を切り抜いてプラスチックの球に貼っていく。不器用極まる子供だったので,シワだらけになってしまったはずだ。
 はっきりした記憶はないけれども,間違いない。本人が言うんだから。
 で,自分でもあまりの無様さに持っているのがイヤになったのかも知れない。それを使った記憶はそれこそまったくない。早々に捨ててしまったのだろう。

● 地球儀って,なくても困るものじゃないから,その後ずっと持たなかったし,持ちたいとも思わなかった。
 初めて地球儀を買ったのは今から20年くらい前かな。ホームセンターの「セキチュー」が宇都宮市(旧河内町)の岡本にできたとき。
 開店セールで何品かを極安で売りだしてね。そのひとつが地球儀で,普通の大きさの地球儀が800円か900円だった。めっちゃ安。それが購入の動機という情けない話。

● その地球儀の末路は哀れだった。まだ小さかった息子の玩具になりましてね。最後は電気ストーブか何かに近づけられて,球体が変形してしまった。
 それで捨てられた。

● その後はまた地球儀って持つこともなく,季節は何度も巡った。少なくとも15回は巡ったと思う。その間,1,000円未満の値段で地球儀が売られているのは見たことがなかった。
 で,今日,同じセキチュー岡本店を覗く機会があった(何年ぶりだろう)。そしたら,店頭に「スモールワールド地球儀」(株式会社デビカ)があった。直径13㎝(標準的なものは25㎝前後らしい)。
 税込みで1,316円。ちっちゃいけど購入した。

● 海外旅行とかあんまり興味はないんだけど,自転車で世界一周したいとは思っていてね。
 時々,地図帳を見て,どんなふうに回ろうかなぁと脳内妄想を膨らませることがあるんだけど,それを地球儀でもやってみようかと思ったわけなんでした。

2016年1月14日木曜日

2016.01.14 ダイスキンに書く分量が激減

● その“2冊目の手帳”であるダイスキンに書く分量がかなり減っている。今月の9日から11日までの3日間,一度もダイスキンを開かなかった。
 その理由はSNSだ。Google+から始まって今はTwitterに移っているけど,そこに1日のよしなし事を書きこんでいる。

● それまではダイスキンに書いていたことを,Twitterにあげるようになったというわけではない。
 Twitterにあげているのは,それまでダイスキンにも書いていなかったようなことが多い。ほんとにどうでもいいようなことをあげているからね。

● それなのに,なぜダイスキンに書く分量が減ったのかというと,Twitterにかまけている時間が増えたからで,その分,ダイスキンに向かう時間が減った。それが理由だ。

● 実際に,ツイートなるものを体験して知ったのは,「ほんとにどうでもいいようなこと」って,あとから自分で読み返すと面白いものだってこと。ダイスキンを読み返すことはあまりないのに,Twitterにあげた自分のツイートはいくらでも見返せるのだ。ほんとにどうでもいいことって,読み返すのにまったく抵抗を受けないからなんでしょうね。
 ダイスキンには憂さを捨てていることが多いので,読み返すことはすなわち憂さを追体験することになる。少々気ぶっせいな作業になるわけだ。

● SNSにはまる人はぼく以外にもたくさんいるに違いない。っていうか,そうであればこそ現在のSNSの隆盛があるのだろう。
 どうでもいいことを書いて(しかも,たいていは写真がメイン),書いたのを読み返す。書くのも読み返すのも,ほとんど力を注がずにできる。
 SNS隆盛のほんとの理由は,高度な読み書きのリテラシーが要求されないからだったのか。

2016.01.13 2冊目の手帳(?)

● 週刊ダイヤモンドの2015-12/12号は手帳特集。その中に,「手帳を2冊以上使っている人が24.3%に達している」ことを紹介し,「しかも年収が高くなるにつれ,その割合は高まる傾向にある」という。
 ただ,2冊目の手帳を何に使っているかというと,「アイデア等のメモ」のようなのだ。

● とすれば,その2冊目の手帳というのは,手帳というよりは小型のノート,メモ帳といったほうがいいものなのではないか。
 ということならば,だ。ぼくも使っているよ,2冊目の手帳。ダイスキンという名のね。

● 手帳とメモ帳は分けたほうがいいと思っている。予定管理とメモを同じ冊子に担わせてはいけない。なぜなら,そうしてしまうとメモの容量が制限されてしまうからだ。
 手帳とはべつにメモ帳を持つ。仕事がらみであってもプライベートであっても,メモは手帳には書かないようにしたほうがいい。

● 問題は,そうしてメモ帳に書いたメモの後処理。仕事がらみだったら,メモ帳に書きっぱなしのまま放置することはないだろう。報告書だったり企画書だったりに形を変えて,しかるべきところに綴られるだろう。
 プライベートのメモはどうか。ぼくは基本,放置。読み返すことはあまりない。書くのは心のゴミを吐きだすため。ノート(メモ帳)はゴミ(憂さ)の捨てどころ。読み返すのは,わざわざ捨てたゴミを拾うようなものだ。

● ただ,そうしたメモの取り方って,年収が高い人はやらなそうだ。年収の高いビジネスマンは,仕事を進めるのにヒントになるようなアイデアを次々に思いついて,それをメモしておくんだろう。

2016年1月13日水曜日

2016.01.13 『週刊ダイヤモンド 2015 12/12号-無敵の手帳術&情報管理術』

発行所 ダイヤモンド社
発行年月日 2015.12.12
価格(税別) 657円

● 発売からだいぶ経っていたんだけど,宇都宮駅東のTSUTAYAにあった。

● まず,この12年間で手帳の売上げが2倍になったことが紹介される。スマホの普及でスケジュール管理はデジタルでもできるようになっていると思われるのに,紙の手帳の売上げは減っていないどころか伸びている。
 その理由(のひとつ)として,「年収が高いビジネスマンほど,手帳の2冊持ちが多くなっている」ことをあげる。

● これは限りなくうさん臭い。アンケート結果も示しているんだけど,こういうものはどうにでも作れるのではないか。ってか,作れるよね。
 しかも,2冊目の手帳は,手帳というよりはメモ帳といった方がいいもののようだ。であれば,なおさら,質問の仕方で年収による違いはなくなってきそうな気がするけどね。

● 「紙の手帳のメリットは,表現がリッチで手軽なこと,そして自由度の高さにある」との指摘は,まったくそのとおり。
 「デジタルツールにはなぜか入力しにくい,こういった感情に関する内容も紙の手帳ならば受け止めてくれる」というのはどうだろうか。そういう人もいるだろうけど,逆にデジタルの方が入力しやすいという人もいるかもしれない。

● 舘神龍彦さんが手帳の歴史をまとめている。その中に「神社系手帳」という言葉が登場する。「ビジネス上の成果を挙げた人物が,自らの時間管理のノウハウの結晶として作ったオリジナル手帳」のこと。なるほど上手いネーミングだなと思った。
 「現在の手帳はその後のライフハックなどの自己啓発の流れと,文具ブームの間に挟まれた肥沃な三角州のような様相を呈している」との指摘も,言われてみればそのとおり。

● 手帳特集の常連といってもいい,糸井重里さんのインタビュー記事もある。
 うちの手帳は,自分のために使う手帳だというのが一番重要なんです。(中略)だから,スケジュールを書くスペースは小さくていい。
 自分のことは,スマートフォンなんかに指でペタペタとタイピングするより,みんな手で書きたいみたいなんですよね。自分もそうなんですけど。書くっていうのは,よっぽど肉体に染み込んでいるんじゃないですか。
 真面目にならなきゃいけないのは,やだね。手帳を使って豊かな人生を教えてあげよう,って言われても,すぐ脱落しちゃいますよ。牛乳を毎日飲むだけでも大変なんだから。
● 「達人たちの手帳術」に登場しているコボリジュンコさん。「世の中をご機嫌な人だらけにしたい」という自分に課した(課したわけではないんだろうけど)ミッション。
 格好いいなぁと思う。普通は,お金持ちになりたいとか,収入を増やしたいとか,幸せな家庭を築きたいとか,自分に関することしか夢にしないものだもんな。

● 「現在の手帳はたくさん書き込めるタイプが人気で大判化しており,普及価格帯は1000~2000円へと高額化している」。これまた,書店や文具店の手帳売場を見ればそうだろうなと思う。
 メーカーがその流れを追って,高額商品を出していったことを記事にしているんだけど,メーカーはそれでいいとして,ユーザーはその流れに乗っていいのかどうか。ここは考えどころなんだろうな。

● ぼくもバイブルサイズのシステム手帳を使っているんで,大型派かもしれないんだけど,その昔は能率手帳でも大きいと受け取られたらしい。
 大型化した手帳を,糸井さんの言葉を借りれば「自分のために」ではなく,スケジュールのために必要としているのであれば,生き方の根本的なところが間違っているかもしれないよなぁ。

2016年1月12日火曜日

2016.01.10 新装なった伊東屋本店を覗いてみた

● 各階にテーマを設けてテーマにそった製品を集めている。各階のテーマや商品群を解説したのが『銀座・伊東屋 文房具 BETTER LIFE』で,この本は昨日,電車の中で読んだばかりだ。

● セレクトショップ的な指向を強めたのだろうか。ゆったりと商品を見られるようになった。対客比の従業員数も増えたように思えるけど,これはたんに錯覚かもしれない。
 お客からの質問に答える,あるいは提案する。そっち方向に舵を切ったのかなと思えたんだけどね。

● 伊東屋って東京のみならず,全国からお客さんが来る文房具の聖地っていうイメージ。その伊東屋に来るほどの人っていうのは,文具に関しては一家言を持っているだろうし,実際に使ってきて自分の流儀を固めている人が多いのだろうと思う。
 ぼくにしたって,ダイスキン+Preppyの300円システムを是としているわけで,これって貧乏くさいだけではないと自負しているぞ。

● そういう人たちの質問に答えたり,提案していくっていうのは,なかなか大変ではあるんだろうな。伊東屋の知的資産に厚みを加えていくことにもなるんだろうけど。
 って,“セレクトショップ的な指向を強めた”って決めつけてますな。

● 途中から,見る対象を商品ではなくお客さんに切り替えた。ANGERSもそうなんだけど,大人のお客さんが多い。
 文具に興味を持つ人=知的生産性が高い人,ではない(少なくとも,ぼくはそうではない)。優れて生産性が高い人って,道具なんかに興味を持たないものかもしれない。その次の人たちが道具にこだわる。そういうもののようにも思える。

● けれども,文具に興味を持つ人の中に悪人はいないよね,たぶん。自分と同質な人たちという安心感のようなものを感じるんですよね。
 それが文具店詣でをやめられないでいる理由のひとつかもしれない。

2016.01.09 今年初のANGERS

● 上野駅で降りれば,駅構内にあるANGERSを覗くのは,何というのか反射行動になっている。

● ただ,欲しい文具はない。これはハッキリしている。欲しい文具はないのだ。
 にもかかわらず,フラフラと買ってしまうのが,文具というもの。実用品でもあるけれども,趣味性が強い。使わなくても愛でることができる。
 さりとて,そうやって買ってしまえば,基本はデッドストックが増えることになる。欲しいのがないならば,買わないのがベストの選択なのだ。

● ステッドラーの製品が並んでいる一画がある。2㎜芯のホルダーがある。水色のステッドラー・カラー。そそってくるぞ。でも,三菱鉛筆のユニホルダーじゃダメなのか。それならぼくも持っている。
 ペンシル型の消しゴムがある。でも,トンボのmonoじゃダメなのか。

● ペリカン万年筆がガラスケースの中に入っている。買うも買わないも,これはぼくには無縁の世界にあるものだ。
 いや,それも決めつけなのかなぁ。ぼくのような者でも使っていいのか,ペリカン。

● グッと現実的になるのは,プラチナのPlaisirあたりだ。千円だから。
 値段以上の高級感というのがメーカーのウリなのかもしれない。だが,しかし。その高級感というのがどうも目障りでもある。中心部はPreppyと同じ。200円のPreppyのほうがチープさに徹していて,いっそ潔い。

● 結局,買わなかった。その代わり,今回も本を2冊買った。どちらも文庫本だけど。

2016年1月8日金曜日

2016.01.08 VICUÑAについて初歩的な誤解をしてた

● 職場のノベルティのVICUÑA(0.7㎜の黒)があって,大いに気に入り,仕事ではそればかり使っていた。昨年のうちに使い切ったので,別のVICUÑAを手当てしたり,家にあったジェットストリームを持ちこんだりして,仕事ではもっぱら低粘度油性のボールペンを使ってきた。

● ところが,年賀にまたもらったんですよ,去年使い切ったのとまったく同じVICUÑA。
 じつは,VICUÑAについて,同じ0.7㎜でも太さに違いがある2種類のリフィルがあるのではないかと思っていたんだけど,どうやらそういうことはないようだ。
 なんでそんなことを思ったかというと,使い切った0.7㎜のほうが,別に手当てしたのより気持ち太めで,タッチが柔らかいと思ったからなんだけど。
 まったく人の(いや,ぼくの)感覚なんてあてにならないものだ。

● ノベルティにはほとんどの場合,そのシリーズの中で最も安い製品が使われる。機能的には最も安い製品でも変わらない。
 あとは見た目や高級感の問題。見た目や高級感にとらわれてはいけない。子どもの頃に教わらなかったか。

2016年1月6日水曜日

2016.01.06 手書きを残さないとね

● Google+によって自分報道。それによってダイスキンへの書きこみが減ってしまった。それに加えて,個々の文具に対する関心も減ってしまったかもしれない。
 もともと“ダイスキン+Preppy”で安定していたわけなので,ネタ探しに苦労することがあった。“ダイスキン+Preppy”の使い方も安定しているので,ダイスキンについてもPreppyについても,もう書くこともない。
 加えて,関心そのものが減ってしまうとなると,いよいよネタから遠ざかることになる。

● できれば,これからも文具愛をマメに語っていきたいんだけど,Google+でひんぱんに些事をアップしながらも,それでもログを残す場所の中心はダイスキンである,というふうでありたい。
 それでもって,文具や文具の周辺について語っていければなぁ。

● Google+にいつまでも浮き足だっているわけではない。そろそろ落ちつくだろう。依然として自分の情報発信(?)のメインはブログであることに立ち返ることになるだろう。ダイスキンはそのネタ帳であり続けるだろう。
 っていうか,そういうふうにして,手書きを継続していきたい。Google+もTwitterもスマホもパソコンも便利なもので,その恩恵はタップリと受けているんだけど,手書きの楽しさってあるからね,それは残しておかないと。

● 何を書くかではなく,書くことじたいの楽しさ。書くことの機能ではなく,書くという行為それじたいの楽しさ。
 それを味わうには,筆記具は万年筆がいいかなぁと思うんですけどね。

2016.01.05 万年筆で一行加えることの美しさ

● Iさんから届いた年賀状。大人の年賀状だから,基本は印刷だ。そこに万年筆で一行,追記してある。中字のブルーブラックでサラリと。
 なかなかいいものだと思う。中字万年筆でサラサラと加筆。大人の風情が出る。

● ぼくもPreppyの中字を持っているんだから,やろうと思えば,同じようにやれるのだ。モンブランじゃないといけないってことはないわけだからな。モンブランのほうがサラリ感が出るというわけでもないだろう。

● 賀状にペンで一行加える人は多いんだけれども,ボールペンやチップペンが多いですかね。はっきり万年筆とわかるものはそんなにないかも。万年筆が復権したといわれる今でも。
 だからこそ,万年筆を使うと目立つことができますな。目立っても仕方がないだろ,という意見はありそうだけど。

● 万年筆は大人の筆記具だと思わされた。ただし,大人の筆記具を子どもが使っていけないという理由はない。

2016年1月4日月曜日

2016.01.04 ダイスキン vs Google+

● 昨年の12月14日からGoogle+への書きこみを始めた。Twitterでいう“つぶやき”のようなもの。それが日常のログになる。日常なんて些事の積み重ねだから,個々の“つぶやき”の中身ときたら,それこそ100%どうでもいいことばかりだ。

● で,それをGoogle+にあげていく。一方,ダイスキンに書く分量が目立って減ってきた。なら,ダイスキンは要らないか。
 比べるのもおこがましいけど,糸井重里さんは「ほぼ日」にいろいろ書いているほかに,Twitterに大量の書きこみをしている。その糸井さんに「ほぼ日手帳」は要るんだろうか。

● 要るんでしょうね。ログ的なものはスマホでネットにあげてしまうのが簡便だ(写真も使えるし)としても,ログにならないのもあるわけで。
 糸井さんのような方は,事業や会社のことでアイディアややりたいことがポコポコ出てくるんだろうから,それを書き留めておくのに「ほぼ日手帳」ってやっぱり必要なのだろう。

● ぼくも基本的にはこのダイスキンに,いろんなものを記録,キャプチャーしていきたい。特に,脳内に浮かんでは消えていくよしなし事を書きつけておければ。
 自分が勝手に脳内バトルを引き起こして梗塞状態になっているときに,そこをストンと外部化して自分を救ってやりたい。
 それにはダイスキンに手書きするのがいい。ダイスキンじゃなくても手書きがいい。

● 喜怒哀楽のうち,喜と楽は書きやすい。が,怒と哀はそれを記録するのにエネルギーを要する。
 その程度のエネルギーは保持している自分でありたい。今はそういう自分ではないけれど。

● ところが。その怒と哀もスマホでだったら手書きよりも軽く入力できそうなのだ。
 ダイスキンに書いたものを読み返すことはほどんどないけれど,Google+にあげたものはしょっちゅう見返している。読み返す必要性が高いのはダイスキンのほうなのに。
 デジタルで入力することの軽さ,ネットにあげることによる再読刺激効果,そういうものがあるようなのだ。