2018年4月22日日曜日

2018.04.22 伊東屋池袋店

● 文具店や書店では,セレクトショップと呼ばれる販売店がある。店の目利きが自らの感性に基づいて,何を売るか(=何を売らないか)を決め,レイアウトし,それにシンパシーを持つお客を呼ぼうということなのだろうと,大雑把に推測している。
 で,ぼくはそういう店にあまり興味がない。感性というのは自分に最も欠けているものであって,そこで勝負されるのを嫌がるという気味合いがあるのだ。

● 東武池袋店の7階にある伊東屋池袋店を覗いてきた。
 伊東屋はそうしたセレクトショップの対極にある文具店だと思っている。セレクトなんぞという小賢しいことをしないで,圧倒的な品揃えでお客を呼ぶ店だ,というね。
 万年筆の修理もするし,オフィス作りの相談にも応じる。文具や事務器が関わることならば,私たちができないと言うことはありませんよ,どんなご要望にもお応えしますよ,と。

● ROMEOという自社ブランドも持っている。セブンプレミアムのようなものなんだろうか。自社工場を持っているわけではなくて,既存メーカーに委託して生産しているのだと思うんだけど。
 ともかく,小売店に甘んじているのではなくて,自分たちがいいと思うものを自分たちで作って消費者に提案することもしている(上手くいっているかどうかは別)。

● とすれば,並のセレクトショップなど吹き飛ばせるだけの“編集力”を持っているだろう。実際,セレクトショップ的な取り組みもしている。伊東屋発信コーナを作っている。
 右の写真はその一例。筆記具のいくつかを伊東屋が選んで編集して,イメージを付加して,いかがですかと消費者に差しだす。

● 筆記具は値幅が大きいし,実用性を超えたサムシングを備えているから,販売店としてはどうにか付加価値を付けて売りたいところだと思う。編集の余地が色々と考えられる。
 ぼくは,1本の鉛筆があればいいんじゃないでしょうか,と答えたくなるんだけど,それは筆記具に実用性しか認めない,狭量というか,セコいというか,昭和的な反応でしょうねぇ。
 とにもかくにも,伊東屋さん,力がありますよね。

● ただ,何も買わないで出てきてしまった。ぼくの場合は手帳とノートとペンでほぼすべての用が足りる。いずれも新たに買う必要がない。
 万年筆のユーザーだが,Plaisir以上のペンを使ってみたいとは思わない。その程度にはPlaisirの完成度は高い。ボールペンもシャープペンも同じだろう。メーカーの開発努力の結果,どれを使ってもハズレはまずないはずだ。
 ノートもダイスキンで充分だ。高価なノートを使ったところで,アウトプットの質が向上するはずもないことは自明なわけだし。というわけで,買いたい文具がないのだ。

2018年4月21日土曜日

2018.04.21 Bun2 4月号

● アトレ目黒の有隣堂の文具売場でもらってきた。無料のフリーペーパー。なぜ無料なのかといえば,コマーシャルペーパーだからだ。
 各社の新製品の紹介とか,今月号の例のように「新生活におすすめの文具」を特集したりとか。中身は広告なんですよね。それでもけっこう面白く読めてしまう。

● 書店にいくつもある,文具ムックや雑誌の文具特集も同じだ。中身の多くは広告あるいはカタログなのだ。だったらタダで配れよと言いたくなるんだけど,その広告をぼくらはお金を払って買うわけだ。広告やカタログにもお金を払わせるだけの付加価値があるということなのだね。
 自転車関連には,その名も『ロードバイクパーツカタログ』というのがあって,正々堂々と2,000円で販売されている。これを買うのはかなりのマニアだろうけど,それが売れるんだね。広告やカタログはメーカーの販促のためのものだからタダなのが当然というのは,もう当たらない。

● 広告自体に価値があるというのは,昔から言われていた。
 たとえば,サントリーのウィスキーのテレビCMは古いものもYouTubeにアップされていて,今でも見ることができるけれども,ぼくもときに見入ってしまうことがある。次々に見ていく。下手なドラマより面白い。
 ただ,これは作品としての広告の面白さであり,価値であるわけだ。そうではなくて,その広告に盛られている商品情報が有料で取引されるわけなのだ。

● 有料でもそれを知りたいと思うのは好事家に限られるのかもしれない。逆に,商品情報をお金を払ってでも知りたいという人たちを好事家と呼ぶのかもしれない。
 で,文具にはその好事家が多いのだろう。パレートの法則はここでも成立していると思う。文具ユーザーの2割が全商品の8割を購入しているのではないか。その2割を好事家と呼んでいい。

● 文具ムックや雑誌の文具特集もその2割に該当する人たちが読んでいる。メーカーも文具店も,2割の好事家がいなくなったら,即,倒産に至るのではないか。
 ちなみに,ぼく自身は好事家にはあてはまらない。文具は実用品だと思っているからだ。使わないのに買うってことはまずない(皆無ではないけど)。無料のBun2があればもらってくるけれど,お金を出して文具ムックを買うことはあまりない。
 好事家は文具を愛でる人だから,使わなくても(あるいは,一度しか使わなくても)買うってことが普通にあるのじゃないか。

2018年4月20日金曜日

2018.04.20 プラチナのPLAISIR

● Preppyに比べると,嵌合も含めて丈夫だ。数年はもつような気がする。あるいは,死ぬまでこれ1本ですむかもしれない。
 高い万年筆は,若い頃に使って使いきれなかった。その経験で充分だ。PLAISIR以上のものを求める気はない。

● 半世紀前。物価は今よりずっと安かった。大卒初任給が4~5万円だったのではないか(大学まで行く人はまだ少数派だった頃の話だ)。その当時でも,1,000円でこれだけのものは手に入らなかったろう。
 貧しい社会では奢侈に属するものはとんでもなく高い。かつての日本もそうだった。万年筆も奢侈に属するものだったのだろう。

● 物価の優等生は卵だけではない。レコード(CD)や筆記具の類も驚くほど(実質的に)安くなった。ユーザーの裾野が広がる(大衆化する)と安くなるのは道理だろうけど。
 大衆化って,貴族しか食べられなかったもの,使うことができなかったものを,庶民も食べられるようになる,使えるようになるってことだもんね。大衆化ってありがたいものだ。

● 大衆化するとは稀少価値がなくなるってことでもあるから,有難味を感じなくなるわけだけども,間違えてはいけない。昔は高嶺の花だったものなのだ。
 なので,PLAISIRもひょっとすると使い捨て感覚で使っている人もいるかと思うのだが(一度使ってほったらかしているとか),そうではなくて,これは大切に使うに値する1本なのだと思うんですよ。

2018年4月9日月曜日

2018.04.09 高級品で自分に付加価値を付ける

● ノートでいえばモレスキン,筆記具でいうとモンブランやウォーターマン。そういう高価な文具を使う人って,なぜ高価なものを使うんだろう。
 という素朴な疑問があってね。

● なぜといったって,使えるだけのお金があるからだよ。そうか,たしかに。使いやすいからだよ,っていう人もいるだろう。
 作家先生にはモンブランのマイスターシュテュック149の愛用者が多いらしい。なぜ149なのかといえば,書きやすいから,疲れないから,という答えが返ってくるのだろう。

● しかし,こういう人もいるんじゃないかと密かに思っていることがある。高価なものを使うことによって,自分に付加価値を付けようとしているのじゃないか。
 急いで付け加えておくんだけど,それが悪いというつもりはまったくない。いいとか悪いとかっていう次元の話ではそもそもない。

● 自分には価値がないと思っている。自覚的にそう思っていなくても,無意識のどこかにそれがある。それゆえに,持ち物で自分に付加価値を付けようとする。
 149を買うのはなかなか大変だけれども,それでも車を買うのに比べれば,別にどってこともない。モレスキンに至っては2千円しかしない。高級ノートの代名詞になっていても,そんなものだ。それで自分に付加価値を付けられれば安いものではないか。

● モレスキンユーザーの多くはこれに該当するのじゃないかなぁと,無礼千万にも想像している。そういうことにしないと,品質と価格がまるで釣り合っていないあのモレスキンが,なぜこんなに売れているのかを説明できないのだ。
 繰り返すけれども,モレスキンで自分に付加価値を付けようとするのは,ひとつも悪いことではない。

● そういう人たちにとって,大事なことはモレスキンが高価であることだ。高価であればこそ,自分に付加価値を付ける道具にもなるのだ。
 これって,かつてはパソコンにもあった。Macintoshを使っている人の中には,Macintoshで自分に付加価値を付けたいと思っていた人が,けっこういたんじゃないかなぁ。

2018年4月8日日曜日

2018.04.08 ダイソーのA4レポートパッド

● 使うあては全然ないけど,買ってみた。ダイソーのA4レポートパッド。5mm方眼。中紙は50枚。
 表紙のデザインといい,方眼の色合いといい,オキナのプロジェクトペーパーを参考にしている。っていうか,パクっている。これで100円なら,こちらを買ってしまうだろうな。

● 同じA4方眼でもっと枚数の多いのがダイソーにあったと思うんだけど,目立つのはこちら。縦開きのもある。が,方眼なんだから横開きでも縦開きでも関係ない。
 ぼくは横にして使うと思う(使うときがあれば)。

● この大きさの方眼1枚紙をどういう局面で使うのか。頭の中のグジャグジャをそっくり外部化したいときってことになりそうだけどねぇ。
 論文を書くときに構成を考える。アイデア出しをするときに片っ端から書きつける。イベント開催を任されたときに段取りを考える。そんな感じですか。

● 頭の中にボーッとあるものを形にしたいときに使うものでしょうねぇ。外部から入ってきたものをメモるには,まるで向かない。内部にあるものを外部化するためのツールでしょう。要するに,大判の方眼紙は内省のためのツール。
 外部をメモする方が,内部を形にするよりずっと容易だ。内部を吐きだす方がはるかにエネルギーがいる。

● 内部を吐きだすにはいきなりパソコンに向かうのではなく,スタートは手書きがいい。というか,手書きに限る。
 そのA4方眼を常用する生活に憧れる。アイデア出しというと,どうしてもあらたまった場面を想像してしまう。そうではなく,もっと気軽に使えないか。安く手に入るんだから。
 ちょっと太めのボールペン(青がいいかな)を使って書く。サラサかシグノの1.0㎜あたり。

● 無理に使うこともないんだけどね。方眼紙を使うために方眼紙を使うというのはバカげたことだから。
 たぶん,埃に埋もれてしまうんだろうなぁ。使わないだろうなぁ。

2018.04.08 死ぬまでに手持ちのノートを使い切れるか

● ダイスキンに供給不安があった数年前,ダイソーで見かけるたびに買い占めに走っていた。気がついたら大量のダイスキン在庫を保有することになっていた。
 その後,20冊程度まとめてもらってもらったりして,在庫の縮減に努めたものの,あらかたは手元に残っている。ていうか,使おうと思って買ったものだから,実際に使ってナンボという話だ。

● A6ダイスキンはどうやら来年中に使い終えそうだ。1冊だけ残っている方眼セリスキンも含めて,このサイズのハードカバーノートは使い終えると思う。
 その後はB6ダイスキンになる。あらためて数えてみると36冊ある。うち,中紙60枚の黒が6冊。72枚のオレンジと赤が30冊(現在販売されているのは,オレンジも赤も60枚になっている)。

● 全部使い終える頃には70歳になっているかもしれない。古来稀なりの70歳だ。
 コクヨのSYSTEMICにCampusノートと百均のマンスリー手帳を挟んで使えるのはその後になるんだなぁ。おいおい,それまで生きてるのか,オレよ。

● 文房具は収集の対象ではなく,あくまで実用品だと思っている。工芸品の高価な万年筆もあるが,そういうのは気安く実用には使えまい(使える人もいるだろうが)。実用に使えないのは文房具ではないから,ぼくがそうしたものに興味を示すことは間違ってもない。
 ぼくの手元にあるのは安い文房具ばかりだ。その中でもノートや手帳のような紙製品は典型的な消耗品。ならば,長生きして使おうぞ。

2018年4月3日火曜日

2018.04.03 ダイスキンを使い終えた

● ダイソーのダイスキンを絶賛愛用中。今まで使ってきたダイスキンが何冊になるのか数えたことはないんだけど,けっこうな数になっていることは間違いない。
 仮に20冊使っていても2,000円。モレスキン1冊分の値段ですけどね。

● そのダイスキン,昨日で使い終えた。使い始めたのは2月19日だから,43日間で1冊を使ったことになる。
 大したことを書いてるわけじゃない。書かなければ書かないで,何の支障も生じない。ま,これを突き詰めてしまうと,大したことをして生きてるわけじゃない,生きるのをやめたところで何の支障も生じない,ということになってしまうんだが。

● ダイスキンのいいところは余計なものが付いていないことだ。どうしてもモレスキンとの比較になってしまうのだが,収納ポケットなどない方がいいのだ。
 ネットをググると,そのない方がいいものをわざわざ自作して取り付けている人がいるのだが,わけがわからん。切手でも紙幣でもメモの紙片でも,適当に挟んでゴムバンドをかけておけば,落ちることはあるまいよ。

● ダイスキンは必要なものだけがあって,ない方がいいものはない。デフォルトの状態でひたすら書いていくためのものだ。ひたすら書いていくのにダイスキン以上のノートがあるだろうか。
 “書く”ことを始めるのに最もストレスを感じないノートだ。敷居を感じない。どう書けばいいのかも考えずにすむ。書きたいように書けばいいのだとストンと思える。
 それもこれも安いからだ。安さは正義なのだ。もうひとつ,頑丈だからだ。たぶん,頑丈さではモレスキンを凌ぐ。

● このあとは,re-Collection Pocketを使うつもりでいたんだけど,気がついたら今日も新しいダイスキンをおろして使い始めている。なぜって,どうもダイスキンの方が使いやすそうなのだ。
 re-Collectionは手元にあるすべてのダイスキンを使い終えたあとに使うことになりそうだ。

2018年4月1日日曜日

2018.04.01 エトランジェ ディ コスタリカのre-Collectionを買う

● 自治医大駅前の“うさぎや”(TSUTAYA自治医大店)の文具売場に,前から気になっていたコーナーがある。エトランジェ ディ コスタリカの商品を集めたコーナーだ。
 モレスキンタイプのポケットノートが気になっていたのだ。

● ぼくはモレスキンは全然ダメだと思っている。が,あの判型とハードカバー,ゴムバンドは非常に秀逸なアイデアで,それを真似る商品がダイスキンをはじめ,いくつもあるのは理解できる。
 だからモレスキン社が紙質を吟味し,綴じや製本をきちんと(というか,まともに)やっていれば,あの価格であっても当然,許容範囲ということになる(いや,そうであっても高すぎるか)。
 モレスキン社は過去にあった商品を承継したと言っているけれども,被承継者の承認など得ていないだろうから,要するにパクったのだと思う。ゆえに,モレスキンをパクる商品が出ても,それを社として非難する根拠がない。


● ともあれ。エトランジェ ディ コスタリカ棚にあるモレスキン類似のノートがかなり気になっていた。価格はモレスキンの半値以下。品質をモレスキン以下にするのは物理的に不可能だろうから,モレスキン以上に決まっている。
 気にしているままでは仕方がない。いつまでも気にしてないで使ってしまえばいい。というわけで,re-Collection Pocket(Ruled)を購入。

● 判型は縦横ともモレスキンよりわずかに小さい。 中紙は104枚。最初と最後のページは糊付け幅が広くて,実際には使用できない。これはこの種のノートの宿命のようで,モレスキンも同じだ。
 3点綴じ。罫線(C罫)はモレスキンと同じく,ページの端まで印刷されている。左右ページの罫線のずれは見事にまったくない。価格は900円(+税)。
 Made in Japanのこととて,万年筆を使うと裏抜けするなどということはあるまいと,そこは使う前から信用している。

● 現在使用中のダイスキンがまもなく使い終えるので,その後,これを使ってみよう。