2018年12月29日土曜日

2018.12.29 東京散歩 銀座

● ホテルからの帰途,新橋で下車。新橋も港区。港区といえば,赤坂をはじめ,白金,麻布,六本木,虎ノ門と,ハイソかつファッショナブルな街というイメージがある。いや,イメージだけじゃなくて実際もそうなのだと思うが,それらの街がハイソでファッショナブルであり続けるためには,新橋の存在が欠かせないと思う。
 新橋は港区の異物ではなくて,新橋があればこそ,港区が港区でいられるのだ。

● 久しぶりに銀座を歩いてみようと思う。まずは並木通り。正月準備は完了している。
 並木通りは,パリのシャンゼリゼ通り(の歩道部分)よりよほどきれいだし,センスがいい,とそちこちで触れ回っているんだけど,賛同者がいない。
 ここのいいところはもうひとつあって,中国語の騒音がないことだ。ひと頃,静かな中国人というこの世のモノとは思えない人たちが増えて,ヘェェーと思っていたのだけども,また元に戻りつつあるように感じる。

● 並木通りにある銀座LoFt。文具売場は5階。手帳博を開催中。
 LoFtが扱っているのは,ほぼ日手帳だけではない。ほぼ日手帳だけではないけれども,ほぼ日手帳関連商品がこれほど揃っているのを見たのは初めてだ。
 5年手帳の贈り物セットも置いてある。宇都宮にも上野にもなかったので,これはほぼ日ストアのみの取扱いかと思っていた。
 銀座ではこれを買う人がいるということなのだろう。上野や宇都宮にはいないと見込んでいるわけだろう。その見込みはおそらく正しいのだろうから,やはり銀座は違うのかなと思う。

● その銀座LoFtでも能率手帳ゴールドは置いていない。客層が若いというか,基本は非爺婆向けの軽妙な品揃えを考えているように見える。
 実際,能率手帳ゴールドを買う人は,ここではなく丸善に行くだろう。ゴチゴチの保守層はLoFtには行かない。

● つい商品を見てしまうが,お客を見るのも面白い。
 あり得ない低品質をあり得ない高価格で売っているモレスキン。ここではノート,手帳のほかに,バッグやiPhoneケースまで取り揃えている。
 こういうのを買うのはどんな人なのか。しばらく観察してみた。売場に来るのは30代のカップルが多かった。次は40代女性のソロ,30代男性のソロ。
 10代や20代はいなかった。値段が値段だから,10代がいないのは当然として,20代がいないのは心強い。若者は普通に賢いのだと思う。

● 中央通りには人間が滞留していた。主力は東洋系外国人。
 こちらには伊東屋がある。LoFtで精力をだいぶ使ってしまったので,ここは素通りするつもりだったんだけど,1階に相当な人溜まりができている。ので,1階だけサッと見た。外国人が多い。日本製文具も日本を代表する文具店の伊東屋も,日本の大きな観光資源であるのかもしれない。

● 時間をかけて端から端まで見て歩くのであれば別だが,買いたいものがピンポイントで決まっているときはちょっと困る。何階に行けばいいのかわかりづらい。常連さんには勝手知ったるわが家の庭のようなものかもしれないが。
 というか,ぼくなんかダイスキンとPlaisirですんでしまっているんだから,本来,伊東屋の客ではないんだが。

● G-SIXの蔦屋書店へ。過去に2度来ているんだけども,ぼくには別世界で手も足も出ないと思った。が,昨日,代官山の店を見て,もう一度だけ確認してみたくなって。
 で,確認したところ,代官山と変わらないのではないかと思えた。扱っているジャンルが狭いだけで,置いてあるブツは共通のようだ。こちらにも少ないながら文庫も新書もあるのだった。過去2回は何を見ていたのだろう。

● 文具売場。初めてここに来たとき,450万円の万年筆があったのだ。ぼくが値札の数字を読み違えただかなのかもしれないんだが。
 今日見たら,100万円が上限だ。蒔絵が施された工芸品の万年筆。こういうものを買うのは好事家に限られるから,問題にする必要はない。好事家というのは必ずいる。
 日常使いすると思われる万年筆だと,70万円が最高値のようだ。何だ,大したことないじゃん。

● 同時に,銀座のこの場所で代官山と同じような商売をしていて,テナント料を払ったうえに利益を出せているのかと,他人事ながら少し心配になった。
 しかも,ここはスタッフの数がけっこう多い。普通の書店や文具店に比べると,だいぶ多いような気がする。これだけのものを売っているのだから,そうせざるを得ないものだろうけれど,人件費もそれだけかけているということだ。

● 蔦屋が言うところのコンシェルジュなのかもしれない。しかし,自分が読む本を自分で決めることができずにコンシェルジュの助言を求めるようでは,すでにしてダメではないか。そういう人を顧客にするという戦略でいいのか。
 いやいや,このコンシェルジュは君が思っているようなものではないのだよ,もっとずっとハイレベルのものなのだよ,と言われるんだろうか。

● 総帥の増田さんは,団塊の世代に期待していたはずだ。団塊の世代は,それ以前の年寄りとは違う。いいもの,本物を知っている。しかも,数が多い。彼らを取り込めれば充分に商売になると,どこかで語っていたと記憶している。
 しかし,その団塊の世代はフロアに1人もいなかった(いや,1人や2人はいたかもしれないが)。ま,彼らは年末年始や休日ではなく,平日にやってくるのかもしれない。

● そもそも団塊の世代に期待をかけるのはどうなのか。彼らは本当にいいものを知っているのか。文化や遊びの洗礼を受けているのか。ぼくは率直に疑問に思う。
 彼らは日本全体が貧しかった時代に少年時代を過ごしている。人間,歳をとると子供の頃に受けた影響が露わになるのではないか。大人になってからのアレやコレは瘡蓋のようなものにすぎなくて,彼らの芯にはなり得ないように思う。

● 文化は若者が生むものだ。若者からだんだんと上の世代に浸潤していく。文化を生みだせなくなった年寄りにいったい何を期待するのか。
 彼らが好むものはしょせんは懐メロだ。後ろ向きだ。過去に生きようとするのだ。
 もちろん,そうじゃない人もいるだろう。しかし,その比率は,団塊の世代だから高いということはないだろう。

2018年12月28日金曜日

2018.12.28 代官山の蔦屋書店に行ってみた

● 蔦屋書店は銀座のG-SIXに入っている店を二度覗いたことがあるだけだ。で,次のように思っていた。
・たしか,総帥の増田さんが団塊の世代がターゲットだと発言していた。団塊世代をターゲットにしているようではどうなのか。遊び圏におけるTDRにはなれないと思う。
・銀座店に群がるお客について。ああいうところで何かを購入するのは,モノの価値がわかるからというより,単なるミーハーだからじゃないか。 そう感じるのは,こちらの育ちの悪さが主な理由であるかもしれず,CCCの顧客ターゲットからは大きく外れているからかもしれないんだけど。
・映画はネットでタダかタダに近い価格でいくらでも見ることができるのだ。わざわざDVDを買ったり借りたりする必要がない。そういうものを財産として持っていたいという阿呆は,そもそも論外に置いていい。
・生活提案型を標榜して,ライフスタイルを形に作って見せても,形そのものは売れない。形のパーツであるハードを売って儲けなければならないのではないか。 しかし,そのハードが売れるかというと・・・・・・ハードはAmazonと競合する。しかも,映画を相当に高い解像度で見る,音楽を相当にクリアな音質で聴くというそのことが,そんなに大げさなハードがなくてもできてしまう。
・大昔に流行った応接間や書斎の不毛さにすでに多くの人は気づいている。コストパフォーマンスのみならず,スペースパフォーマンスを考えるだろう。 応接間は応接間以外を客に見せないためにあったものだが,今は家に客を呼ぶことがないのだ。
・富裕層がああいうところでお金を使うとも思えない。富裕層に憧れている貧困層が集う場所のように思える。富裕層はムダなお金を使わないから富裕層なのだ。富裕層に憧れる貧困層は使えるお金に限りがある。そもそもスペースが足りない。
・生活提案の余地はそんなにあるものではない。基本的な機能以外はアウトソーシングするという方向もあるだろう。優雅さを味わいたいなら,ホテルやレストランに行く。それこそ蔦屋のような生活提案型のショップに行く。それで需要は満たされる。蔦屋をショールームとして利用し,実際の購入はAmazonで行う。
・よほどとんがった提案じゃないと消費者に刺さらないのではないだろうか。一方,とんがってしまうと刺さる範囲は狭くなる。
● 本の並べ方は独特。書棚にあまり近づかないで,距離を取って眺めた方がいい。
 文具売場には普通の店では置いていない,ジーノダビドフやカヴェコの万年筆,レッツやLACONICの細長い手帳があったりして,さすがは蔦屋的な存在感がある。
 が,モレスキンもあってね。こういうのは凡百の文具店にお任せしてもいいのでは。蔦屋でもこれは売りたい商品なんだろうか。求めるお客が多い?

● 映画のDVDや音楽のCDの品揃えも圧巻。クラシックに関しては,これだけのものは見たことがない(ただし,ぼくは渋谷のタワレコには行ったことがない)。
 ここを利用できる人にはこちらは対抗のしようがないような気がした。蔦屋が蓄えているノウハウは途方もない。それくらいのことは,ぼくにもわかるのだ。
 が,この分野で現物を扱っていたのでは,いつまで安泰でいられるか。そのあたりは先刻ご承知で,打つべき手は打っているんだろうけどね。

● 知と遊の一大集積地という印象。ネットの“ほぼ日”をリアルに落としこむとこんな感じになるのかな,とも思った。
 ミューズメント施設でもある。1日つぶせる。ただし,お金はそれなりにかかるだろう。いや,それなりのお金をかけてもいいと思っている人が来るところだ。

● 銀座店とは違うという印象を持った。銀座店は(少なくともぼくには)とりつく島もない。が,ここはそうではなくて,自分がいてもいい場所のように思えた。
 といって,鄙に住む身としては,そうしばしば来れるところではない。鄙にいて,ここに対抗できるだけの情報環境をどう整えるかを考える方が話が早い。

● で,じつはもう整っているのだと思う。いくら本やCDやDVDに取り囲まれていても,ひとりの人間が読める本,聴ける音楽,見られる映画には限りがある。その“限り”以上のものは鄙にもある。
 いや,そういう話ではない。インターネットだ。インターネット上にある。
 蔦屋にとっての脅威もここにあるように思う。インターネットを賢く統御して使える人が増えることが,蔦屋の脅威。
 とは,何も知らない素人が考えそうなことか。そういう単純な話ではないんだろうか。

2018.12.28 有隣堂アトレ恵比寿店の文具売場で

● アトレ恵比寿の5Fにある有隣堂。最近,書店でも書籍ではなくて文具売場で過ごす時間が長くなった。
 昨日の三省堂書店もそうだったけれども,有隣堂も文具売場が充実。けっこう時間をかけて見て回った。

● 高級ノートコーナーというのがあった。ロイヒトトゥルム1917,モレスキン,ミドリの「理由がある」ノート,トラベラーズノートなどが並べられている。
 だっかっらっ,モレスキンを高級ノートコーナーに置いてはダメだろう。何をもって高級とするのか。販売する側が“高価=高級”という発想ではどうにもならない。

● まぁ,そういう言い方が幼稚というかナイーブに過ぎることはわかっている。モレスキンは販売側にとっても利幅が大きい。同じ手間なら,利幅が大きいものを売りたいのは当然の話だ。
 しかし,だ。本当にそれでいいのか。販売者として,モレスキンを売るくらいだったらこれを売りたいというものはないのか。
 あるんだったら,それに従った方がいいのでは。それが個の誇りというものではないか。

● エンドユーザーが欲しがるなら,つべこべ言わずに欲しがるものを売るのは,それ自体,1㎜も間違ってはいない。
 そもそも,エンドユーザーを販売側が啓蒙するということをやっていいのかどうか。なかなか微妙なところがある。

● しかし,モレスキンを高級ノートコーナーに置いてはいけないような気がする。エンドユーザーがモレスキンを選択するかしないか。それは究極はそれぞれの好みによる。
 が,紙質や製本の状態,ゴムバンドの質など,モレスキンの品質が高級かどうかは,好みの問題ではない。客観的に決まるものではないか。

2018年12月27日木曜日

2018.12.27 三省堂書店の文具売場で

● 三省堂書店の神保町本店に行ってみた。若い頃は,ぼくはわりと本を買う人間だった。ので,宇都宮の書店では見つからなかったものは,東京まで探しに行った。
 当時は売場面積が最も広いのは八重洲ブックセンターだったけれども,東京駅に行くという発想はなくて,お茶の水に直行するのが常だった。
 という昔話はさておき,すっかり本を買わなくなって久しいので,ここに来るのも本当に久しぶりだ。隣の書泉グランデがなくなったのは知っていたから,四半世紀にはならないだろうけど。

● で,今回も書籍売場ではなく,まっすぐ3階の文具売場をめざした。エスカレーターを降りると,モレスキンがお出迎え。一番いい場所にモレスキンが置かれているということか。
 時期がら,手帳・ダイアリーが前面に出ている。ほぼ日タイプの1日1ページのダイアリーがあるんだが,これを1年使ったら,必ず背が割れるのではないか。

● ペンとセットになったものもある。ボールペンでリフィルはゼブラの油性。ゼブラの純正でよければ100円で買えると思うが,モレスキンの刻印があるだけで,さていくらになるのだろう。
 ペンとセットで売れればそれに越したことはない。万年筆を使われて,裏に抜けるじゃないか,ここまで劣悪な紙質でこの価格はボッタクリもいいところじゃないか,とうるさく言わせないためにも。
 要するに,商売上手なのだとも言える。ま,何はともあれ,頑張ってモレスキン社に貢いでください,モレスキンユーザー諸君。

● 文具店を大きく2つに区分するとき(しなくてもいいのだが),能率手帳ゴールドを置いているかいないかを,メルクマールにしてもいいような気がする。
 伊東屋にはある。LoFtにはない。書店の文具売場・手帳売場でゴールドを置いてあるところは少ない。が,三省堂書店にはある。

● ゴールドを使うのは企業や役所のお偉いさんというイメージがある。環境に上手く適応してきた人というか,仕事に必死に食らいついてきた人。そういう人が使う手帳というイメージ。
 だから,ゴールドを置いてあるところは,そういう人たち,保守派・伝統重視派,がやってくるお店なのだろう。その代表は丸善でしょ。

● ところが。インスタを見ていると,その辺のアンチャンやネーチャンが普通にゴールドを使っているようでもある。
 たぶん,お偉いさんはインスタには手を出していないんだろうけど,“ゴールド=エグゼクティブ”というわけでもないのかもしれない。

● ではあっても,ゴールドを置いてあると格式が高いという感じを受けてしまうのは,ぼくがミーハーだからか。
 ぼくも30年来の能率手帳ユーザーだけれど,ゴールドを使ったことはない。これからも使うことはない。自分にはあまりに分不相応。
 が,そう思ってしまうこと自体が旧守派的というか,アンシャンレジームの体現者というか。その辺のアンチャンやネーチャンの方が,フットワークが軽くて,知的水準も上位ということになるかもしれない。

● 手帳探しにうつつを抜かしているバカよりは,能率手帳(でなくてもいいのだが)1本という人を信用してみたい。手帳本をいろいろ読んで手帳探しの参考にしようとしている時点で,何というか,オトトイおいでと言われても仕方がない気がする。
 ちなみに,ぼくは手帳本をいろいろと読む方だが。

● もっか流行っているかに見えるバレット・ジャーナルもそうで,あれは勧めている側が儲けているだけではないか。勧められてどのノートがいいかなとウロウロしているのは,しょせんカモ的大衆。大衆はいつだってカモにされる。そろそろ気づけよと言いたくなる。
 他方で,バレット・ジャーナル本に乗って,あれこれホザいている文化人(?)は信用しないことにしている。モレスキンを推奨する連中も同様だ。自分の口に糊するために,バカな大衆をダシにして恥じないやつらだ。
 ま,やつらもモレスキンを扱っている文具店も,喰っていくために大変なんだと思うけど。

● モレスキンを扱っている店では何も買わないことにするか,と心の狭いことをチラッと思った。来年から実行するか。まず,モレスキンを扱っているかいないかを確認し,扱っている場合にはそこでは何も買わないことにする,と。
 といって,そもそもぼくは買わない人なんだけど。ダイスキンと千円万年筆で充分で,他は要らんと思っているんだから。

2018年12月22日土曜日

2018.12.22 ホワイトボードとクリップボード

● ベルモールのダイソーでこんなのを買った。片面は無地。裏面は1cm方眼。ダイソーのホワイトボードノートは有名なので,買ってはみたものの,ほとんど使っていない。
 大きめのホワイトボードなら使うんじゃないか。
 って,使うわけないじゃん,オレよ。
 という脳内会話をしたんだけど,買ってしまった。

● ホワイトボードもぼく的には,クリエイティブ系のツールということになっていてね。だものだから,ホワイトボードをチャチャッと使うカッコいいオレ的なイメージに溺れてしまった結果。
 たぶん,使うことはないと思う。いわゆるクリエイティブ系の仕事や仕事人に対する憧れと劣等感が買わせたものだから。それと,百円なんだからいいやという安直さがもたらした無駄遣い。

● ダイソーでもうひとつ,無駄遣い。クリップボード。ポスタルコのSnap Pad はなかなか買えないけれど,これなら百円で買えるというわけで。
 これも,ぼく的にはクリエイティブ・ツール。A4の紙を挟んで,立った状態で書ける。そんなことを自分はしないけれども,創造力豊かな人はするんじゃないかと。

● A4の白紙に何かを書くっていうだけで,ぼくからするとクリエイティブなんだよねぇ。憧れるわけですよ。自分もそうしてみたいと思うわけですよ。
 というわけで,これも使うことのないまま,いつか捨てることになるだろう。

● ぼくがイメージするクリエイティブ系ツールは,他に情報カードとそれを収納するジョッター。ポストイットに代表される付箋。
 逆にノン・クリエイティブ系を代表するツールはノート。

● 総じて,カードはクリエイティブ系でノートは事務系という区分け。話にならないほど幼稚。そんな単純なものじゃないからさ。
 そもそも,クリエイティブ系ツールなんてものがあるのかっていう話ですよね。

2018年12月20日木曜日

2018.12.20 「紳士なノート」を購入

● ヨドバシ宇都宮店の文具売場で,自分には分不相応も甚だしいと思われるノートを購入。いつも見るだけでは申しわけないので。
 アピカの「紳士なノート」。紳士じゃないのにな,オレ。A6,96枚。定価販売の文具店より160円安くなる(Amazonならもっと安くなる)。いつか使おう。

● ハードカバー版もあるんだけども,それはヨドバシには置いてない。あったとしても,自分には分不相応ですらなくなってしまう。
 先日,無印のハードカバータイプのノートを買った。ギリギリここまでだと思う。ぼくが使ってもいいのは。それ以上に高価なものは,世の賢人諸氏にお任せしようと思う。

● ツバメノートのA6も買ってみた。評判は聞くものの,使ったことは一度もない。A6ながらツバメサイズなので,正規のA6よりひと回り小さい。72枚。162円(税込み)。
 Campusも。税込みで82円。10%ポイント還元も含めると,「BIG」より安くなる。というわけで,Campusはヨドバシが県内最安。これらもいつか使おう。

● もうひとつ,サクラのボールペン(Ball sign)。ブルーブラックの0.4mm。万年筆でいえば極細に当たるだろう。Plaisirの細字(0.3mm)よりずっと細い。145円。
 ヨドバシの売場では水性と表示されていたが,メーカーは水性ゲルインクとうたっている。ゲルインクのボールペンだ。軸がやや細い。女性の手ならピッタリかも。
 ダイスキンで裏抜けなし。かの最低紙質のモレスキンでもOKかも。

● こうして,ちょびっとずつ買ってしまう。使わないのが溜まっていく。ひじょうによろしくない。

2018.12.20 ダイスキンがダイソーの文具売場から消えた

● 宇都宮駅前のララスクエアに入っているダイソー。文具売場から旧来型のダイスキンが消えた。消えてから10日間くらいにはなるのじゃないか。新型ダイスキン(A罫の64枚)はあるんだけど。

● 販売やめちゃうんだろうか? 自分についていえば,ダイスキンの在庫を持ちすぎたという反省がある。今度もしばらく(数年間)は在庫処分に精を出さなければという状況なので,もうダイスキンを買うことはないかもしれない。
 ので,ダイスキンがなくなってしまっても,ぼく一個はあまり痛痒を感じないんだけども。

● いや,もし販売をやめるのであればということ。ここ数年,ダイスキンは定番化された感があったので,なくなることはないのかもしれないんだが。一時的な端境期の現象なのだろうとも思うんだが。
 モレスキンとの対比で語られるので,とにかくダイソー文具の中でも圧倒的な存在感がある製品だ。モレスキンより質が良くて,価格が20分の1なんだから。ダイソーとすれば,モレスキン様々であるのに違いない。


● そのダイソーにこんなのがあったので購入。中国製。正方形の付箋を持ち歩くのに便利かなと思ったんだけど,たぶん使うことはないかも。
 付箋に字を書くことはなかったんだった。使うとすれば職場に持ちこんで,仕事でということになるかも。

● 付箋を使いこなせている人は,クリエイティブの分野で生きる資格のあ
る人だとぼくは思っている。それゆえ,付箋という製品自体に,分不相応な美女に憧れるがごとく,憧れを抱いてしまうのだ。

(追記 2018.12.22)

ベルモールのダイソーにもダイスキンはなかった。新型ダイスキンはあったけど。A罫で64枚のダイスキンになってしまうのか。
 ダイスキンの在庫を抱えすぎたと思っていたんだけど,そうなると過ぎるほどに抱えて正解だったことになる。でも,あまり嬉しくない正解だな。

2018年12月19日水曜日

2018.12.19 ダイスキンに復帰

● 今日からダイスキン(A6 黒)に復帰した。過去にもダイスキン以外のノートを使ったことはあったけれど,1冊使ったあと,やはりダイスキンがいいやとなって,ダイスキンに戻っていた。
 今回は,無印「開きやすいノート」,測量野帳,ダイソーのA6ノート2冊を経ている。これほど長くダイスキンから離れたのは初めて。
 正規A6サイズに慣れてしまったためか,ダイスキンが小さく感じる。このあたりはすぐに慣れ直す(?)と思うけど。

● ダイスキンはモレスキンのエピゴーネンで,高額なモレスキンは使えない人というが次善の策として選ぶもの,と思われている向きがある。品質はしょせん百均だからモレスキンには及ばないけれども,何といっても100円なんだから,と。
 SNSやブログで,“品質はモレスキンがダントツだけれども”と書いている人が,佃煮にするほどいる。

● そういう手合はほんとに両者を使ってみたんだろうかと思う。逆だ。モレスキンの紙質は,ぼくが知っているノートの中では最低ランクに属する。
 「tadachi-net 出張所」さんが「栞以外は本家よりも良い品質(断言)」と評しておられるが,ぼくも同じ意見だ。紙質,製本,ゴムバンドはダイスキンがモレスキンに勝る。

● さらに言うと,品質管理という概念が,おそらくモレスキン社にはない。ないからこそ,品質管理番号シールなどというものを付けて,不良品は交換するなどということをアナウンスせざるを得なくなるのだ。その時点で負けではないか。交換すればいいという発想でいるなら,メーカーとしては甘えが過ぎる。
 ダイソーは自社製品の品質管理を怠っていない。100円で売っている製品で,これだけ個体のバラツキがないのは大したものだと思う。

● 判型といいハードカバーといい,モレスキンにオリジナルがあるのなら,エピゴーネンを生産しているメーカーに対して,何らかの法的な対抗策を考えることもできようが,モレスキン自体が本家をパクっているんだから,一切の法的措置をとることはできない(とってもいいが,裁判で負ける)。
 モレスキンのすごいところは,扱う製品が品質粗悪であって,しかもあり得ないほどに高額,かつ広告もしないのに,世界中にファンがいることだ。せいぜい300円がいいところのものを2,000円で売っているのに,ファンが群がる。
 これをどう考えたらいいのだろう。世界はアホで満ちているからだ,とするのが,最も腑に落ちると思っている。

● ぼくは横罫派なので,ダイスキンにこれ以上望むことはない。世に方眼派が多いようだけど,なにゆえ方眼にこだわるのかは,ぼくの理解の及ばないところだ。
 『頭がいい人はなぜ,方眼ノートを使うのか?』なんていうタイトルの本があって,ぼくも目を通してみたけれど,こういうものは目を通すだけにしておくのが正解としたものだ(目を通さないのが大正解だが)。

● 現在は黒のA6ダイスキンは中紙が80枚になっているが,96枚のがあと5冊ある。それを使い切ったら,黄色のダイスキンが2冊。そのあとは,新型ダイスキン,方眼セリスキン,それ以外のモレスキンタイプのノートがあわせて20冊程度(その中にモレスキンが1冊入っている。もらってくれる人がいないかと心あたりに訊いてまわったんだけど,色よい返事がなかった)。
 それらをすべて使い切ったら,B6ダイスキンが待っている。40冊近いかもしれない。そのあと,Campusを初めとする正規A6サイズのノートと測量野帳が控えている。願わくば,生きている間に使いきりたい。

● ダイスキンに復帰したことを話そうと思ったら,過半はモレスキンを罵倒する内容になってしまった。しかも,この話はこれまでに何度もしているのだ。
 何だか,定期的にモレスキンを揶揄したくなるのだ。モレスキンを褒めている人がいると茶化してみたくなる。あんた,バカなんですか,と。
 大きなお世話だよね。オレがオレの金を何に使おうとオレの勝手だろ,ってことですよね。まったくそのとおりです。失礼しました。

2018年12月18日火曜日

2018.12.18 ダイソーノートの2冊目を使い終えた

● ダイソーノート(32枚)の2冊目を使い終えた。8日間で1冊。
 薄いノートでも使い終えると小さな達成感はあるのだが,さすがに8日間で使い終えてしまっては,後の保存を考えてみても,少々手際が悪い結果になるかもしれない。前のノートをしばらく手元に置いておきたくなる。

● 厚いノートには厚さがもたらす使いづらさがある。書いている最中が快適なのは薄い方だ。それは測量野帳に教えてもらった。軽さが正義であることも。「開きやすいノート」をほぼ日手帳カバーに挟むと,かさばるし重い。
 しかし。依然としてノートへの筆記量は落ちていない。このペースで書いていくのであれば,96枚に軍配があがるかも。薄いノートを細かくつないでいくよりはいいような。このペースで書き続けるわけではないと思うんだけども。

● このダイソーノートは3冊セットなのだから,まず3冊を使ってしまいたいと思っていた。が,ダイスキンに戻ろうと思う。1ヶ月程度は同じノートを使えた方がいいようだ。
 薄いノートは,測量野帳も含めて,しばらくいいかなと思う。となると,Seriaで買ったのも失敗だったか。それ以前に48枚のCampusもどうなのか。
 そのあたり,まだ何とも言えないところがあるけれど,ともかく次は96枚のダイスキンに戻ってみる。

● でも,ノートはどれでも同じだという気もする。ならば安いのを使えということになる。ほんとに安いのでいい。百均ノートで実用には何も問題はないのだから。
 メーカーはいろんな広告を繰りだしてくるし,雑誌の文具特集や文具ムックもつまりは広告の一環で,そうしたところに記事を書く文具マニアとか趣味人とか文化人も,大きくいえば広告業界のメンバーだ。

● そうしたものから距離をおいて,たとえば百均ノートを使うとかCampusを使うとか,そういう人がつまりは賢人ということになりそうな気がする。ノートをはじめ文具に関しては,語る人でいるよりも黙々と使う人でありたい。語る人を無視できる使う人でいたい(と言いながら,語ってしまうわけだが)。
 そのためには,“広告業界”から遠ざかっていることも必要かもしれない。文具店なり書店の文具売場はショールームでもあるわけだから,そこからも遠ざかった方がいいのかも。

● にしても。ノートの何と安くなったことよ。このノートが3冊で100円だというのだから。ペンも何と安くなったことよ。この万年筆(Plaisir)が1,000円だというのだから。ぼくが子供の頃は,こんなに贅沢にノートを使うことはできなかった。
 モノの値段は相対的に安くなっている。モノに限らず不動産もそうだ。土地価格は暴落し,住宅の建築費も昔に比べれば下がっているのではないか。

● という状況にあって,人間の価格(賃金)だけが上がるなどということがあるんだろうか。現在の日本は貧富の差が拡大していると言われる。富の方がどんどん上がっているのか,貧の方が下がっているのか。

2018年12月17日月曜日

2018.12.17 手帳の魅力の拠って来たるところ

● 文具店や書店に行くと,手帳売場を覗く。この時期,すでに各社の手帳は出揃っているし,すでに何度も見ているものだ。何より,自分の手帳はとっくに購入している。
 でも,見てしまう。そうさせる魅力が手帳にはある。一人で何冊も買って,複数の手帳を使っている人もいるらしいのだけど,それも必要性や実用性からそうしているというよりも,この手帳の魅力に抗しがたいからではないだろうか。

● では,その手帳の魅力はどこにあるのか。1年分の時間を可視化可能にしているところだろう。可視化できるから,その1年分の時間を支配できるかもしれないと思わせてくれる。
 そこに手帳の魅力の源泉がある。手帳は時間の支配力を自分に与えてくれるかもしれないツールなのだ。

● Googleカレンダーができても紙の手帳が廃れないのは,紙の手帳の方がその支配を実感できるからではないか。
 いろんなタイプの手帳があるのは,支配の仕方の多様性を提供するためだろう。煮るか焼くか炒めるか。天日で干すか塩漬けにするか酢でしめるか。多くの料理法があって,そのそれぞれに合った道具をメーカーが考案して消費者に提示しているのだ,と考えるとわかりやすい。

● ところが,消費者の方はどれが自分に合っているのか,なかなか決められない。右往左往する人もけっこういそうだ。
 毎年,取っ替え引っ替えする人もいれば,どれがいいかわからないから(すべての手帳を試してみて,そのうえで決めるなんてのは,できる相談ではない)そこに居直って,最初に使ったものをずっと使い続ける人もいるだろう。ぼくは後者のタイプなのだが。

● 時間を支配する。何と魅力的な響きだろう。時間を支配できれば,人生を支配できる。自分が時間の奴隷になるのではない。時間を自分の奴隷にするのだ。
 しかし,時間は手強い。手帳などせせら笑うように,ときに荒々しく,ときに疾風怒濤の勢いで,容赦なくぼくらを蹴散らして流れていくのだ。

2018年12月16日日曜日

2018.12.16 SARASAのグリーンブラック

● 八重洲ブックセンター宇都宮店の文具売場にあった。ゼブラのSARASA。200円。ミッキーの絵がなければ100円だよね。ミッキーの絵なんかなくたって,書き味は同じだよね。
 でも,ミッキーのしかなかったのと,期間限定なんて言葉があったんで,買ってみるかと思ってね。

● 色はグリーンブラック。0.5mm。ブラウンブラックはシグノで使ったことがあるけど,この色は初めて。試し書きして,常用できるのを確認。
 実際に使っている百均ノートでも試してみたが,問題なく使えそうだ。色的にも目を刺してくることがなく,普段使いが可能。

● では,万年筆(Plaisir)に代えて使うかとなると,そうもいかない。ひとつには万年筆の方が疲れないからだ。
 そんなことは買う前からわかっていた。わかっていながら買ってしまうわけで,こうして“塵も積もれば”で使わない筆記具が溜まってしまうことになる。

● でも,いつか使うと思っているんだよね。いつかは使う,と。おまえ,いつまで生きるつもりだよ,と自分に言ってやらなくちゃな。“いつか”は来ないよ,って。


(2018.12.18 追記)

 このSARASAを職場で同僚に見せたら,可愛いじゃない,気分変わるよね,と言った。そっか,ミッキーの絵で気分が変わる人もいるのか。女性に多いんだろうか。
 こういうので気分を変えられる人っていうのは,楽しむ術をたくさん持っている人なんだろうな。オヤジはこれを軽佻浮薄と思ってしまいがちなんだけど,時代は彼女のものだ。
 絵が消えないうちに使っちゃわないとね,とも言っていた。そりゃそうだね。絵が消えたら気分も変わらなくなっちゃうもんね。

2018年12月15日土曜日

2018.12.15 宇田川一美 『手づくり文房具』

書名 手づくり文房具
著者 宇田川一美
発行所 池田書店
発行年月日 2008.03.25
価格(税別) 1,200円

● 手づくりといっても紙から漉くわけではもちろんない。
 下手にやると手間暇かけてガラクタを作ったってことにもなりそうだけど,その過程を楽しめるかどうかの勝負。過程を楽しんだうえに実用性も得られれば,一挙両得だ。
 暮らしを丁寧にすることにもつながる。こうした趣味を持つ人が羨ましい。

2018.12.15 文具もAmazon?

● 氏家のBIGの文具売場。システム手帳の無地リフィルを購入。このリフィルは“貼る”のに使っている。サンノート㈱謹製の MADE IN JAPAN。77円(+税)。
 この種のものは百均を含めて,ここが一番安い。ぼくの知る限りでは。ただ,このリフィル,最低でも3年はもつ。たぶん5年はもつかもしれない。この先,そんなに長くシステム手帳を使っているかどうかはわからない。たぶん,使っていないと思う。

● 手帳売場では見開き1週間のバーチカルタイプの手帳が97円で売られていた。ぼくはすでに来年の手帳は用意しているので,買わないけど。でも,97円はかなりヒキが強い。週間バーチカルなんだから,それなりに厚いわけですよ。
 A6のロジカルダイアリー(ナカバヤシ)やCampusダイアリーも安い。Bindexのあとは百均に走ろうと思っていたんだけど,あえて百均じゃなくてもいいよねぇ。

● B5の100枚Campusもこのお値段。無線綴じで100枚というのが脅威のCampus。一度使ってみたいものだけど,このサイズのものを使うことはおそらくない。なんというか,小型が好み。

● ただし,文具店よりはだいぶ安いと思うんだけど,Amazonならもっと安い。となると,Amazonは文具店をも駆逐することになるか。スーパーの文具売場も。
 書店,パソコンショップ,レコード・CDショップに限らず,あらゆる業態の店舗にとって,Amazonは競合者になる。購入即使用という場合以外は,Amazonが安いんだから。ので,スーパーの生鮮食品部門以外は,Amazonの前に霞んでしまうかもしれない。
 コンビニとアマゾンが商業界を二分する存在になるんだろうか。プライム会員になれば送料無料,送付迅速。すごいものだ。

● 金額的にお得なだけでなく,附帯サービスも色々あるんだろう。少なくとも,ノートのまとめ買いなら,考える余地なくAmazonだ。自宅まで運ぶ必要すらないわけだから。
 現物を扱うのにどうしてこの価格にできるのか。IT化を徹底させているんだろうけどねぇ。それだけじゃないはずだ。

● 情報はネットで瞬時に移動するようになったが,モノはネットに乗らないとずっと言われていた。物流はネット化できない。
 が,Amazonは物流もネット化した。Amazonによってモノもネット上を走るようになった,と言っていいのではないか。

● これから流通業界はどうなっていくのか。ぼくも少しはAmazonに親しんだ方がいいのかも。

2018年12月13日木曜日

2018.12.13 きだてたく 『愛しき駄文具』

書名 愛しき駄文具
著者 きだてたく
発行所 飛鳥新社
発行年月日 2014.09.15
価格(税別) 1,111円

● アッハッハ。電車の中で読んではいけないかもしれない。ついニヤニヤしてしまって,怪しい人と思われるかも。
 いろんなのがあるんだなぁ。といっても,紹介されているブツよりも,きだてたくさんの文章の切れ味と切り口を味わうものでしょう。

2018.12.13 SeriaでA6の綴じノートを3種購入

● ダイソーのA6ノートを使用中。ぼく的には不満がないが,Seriaのノートはどうなんだろうと思って,宇都宮ラパークの4階に入っているSeriaを覗いてみた。
 Seriaのノートはセリスキンのほかに1種類だけ使ったことがあるが,Campusタイプの普通のノートはまだ使ったことがない。で,右の3種を購入してきた。ま,これらのノートを使うのはだいぶ先になると思うけれども。

● ダイソーと違うのは3つとも MADE IN JAPAN であること。左側のはサンノートが製造。糸綴じで中紙は20枚。4冊セット。B罫。
 真ん中のはKyowa。A罫で30枚。3冊セット。無線綴じ。クラフト表紙で無印良品を連想させるが,Seriaには無印系が多い印象ですな。
 右側はメーカー不明。Seriaが前面に出ている。B罫で28枚。3冊セット。Seria版のCampusかと思いたくなるが,糸で綴じている。

● 使わないまま言うんだけれども,いずれも紙質は問題ないかと思われる。特に,右側のものはほとんどCampusに近いのではないかと思える。
 左右ページの罫線のズレもほぼ見られないが,左側のものには1冊に1ページくらいの割でズレがある。ただし,あまり気にはならない。
 左側と右側のノートは,糸綴じで折丁がひとつしかないので,1ページ目から全面使用可。

● 基本的に百均ノートであれば,製造国はあまり関係ないような気がする。つまり,中国製だろうとインドネシア製だろうとベトナム製だろうと日本製だろうと,基本的に差がないのでは。
 通常使用であれば,まず問題はない(ぼくの知る範囲では,基本性能に問題があるノートはモレスキンだけだ)。通常使用ではない使用法は“貼る”くらいか。表裏にどんどん貼っていくという使い方。でも,その場合でも糸綴じか無線綴じかは問題になるかもしれないが,製造国が問題になることは,通常使用以上にないような気がする。

● 今はダイソーにもSeriaにもCampusが置いてある。文具店よりは少し安くなるけど,少しだよね。百均店がしたたかなのか,コクヨが強いのか。おそらく,後者と思う。
 ともあれ。Campusを買うなら,百均よりスーパーの方が安い。

2018年12月12日水曜日

2018.12.12 『あなたに教えたい! 5分でわかる44の文房具トリビア』

書名 あなたに教えたい! 5分でわかる44の文房具トリビア
著者 きだてたく サイトウヨシノリ 西村まさゆき 古川洋平 結城靖高
発行所 セブンデイズウォー
発行年月日 2017.01.27
価格(税別) 1,400円

● すばやく賢くなったと実感したい人向け。いや,皮肉でなしに。
 ネアンデルタール人が接着剤を使って槍を作っていたとか,旧石器時代に人間はすでに絵の具を使っていたとか,本書は知る喜びを満喫させてくれる。

● X字型はさみはかつて「鍛冶ばさみ」と呼ばれていたことが,p44で紹介されている。この「鍛冶ばさみ」という言葉が懐かしかった。
 ぼくが子どもの頃は,母親がX字型はさみをその言葉でよんでいた。

● 本書に何回か登場するモデルの緒方ももさん,ウェスト細っ。

● 以下にいくつか転載。

 原始時代,人類がウホウホ言いながら(言ってなかったかもしれないが)マンモスを刈っていた槍は,すでに接着技術によって作られていたのである。(p6)
 数万年の昔,旧石器時代のころから,人類は鮮やかな色彩を残すことに知恵を絞っていたのである。(p12)
 日本の代表的なノートといえば,「コクヨ」の『キャンパスノート』。1975年に販売を開始して,現在は年間に1億冊,累計で28億冊以上を売り上げているという,国産ノート界の巨人である。(p25)
 コクヨではアジア各地で販売する商品に対し,現地の需要に合わせたきめ細かい商品企画を行なっているという。たとえば,ベトナムでは北部向けと南部向けでノートの仕様を変えている。(p26)
 日本に伝来したとき,中国のそろばんはまさに団子のような「珠」だった。それが現在のような菱形になったのは,より速く計算したい,より気持ちよく珠をはじきたい,という使い手の思いに応えた職人の高度な木工技術があって成立した。海外にはそのような加工のノウハウがないらしく,それゆえ,そろばん先進国である日本製のものが世界で注目されているのだ。(p51)
 この合金は,金属の中ではもっとも硬いといわれており,書ける文字数はなんと500万文字以上。まっすぐに線を引いたと考えると,距離にして60kmを超える長さの線が引けるとされている。1日1000文字書いても10年以上もつ耐久力,それこそがイリドスミンの真価である。(p65)
 消しゴムの誕生は一般に1770年とされている。そして,製品としての発売が始まったのは1772年。単に消すことに特化したツールが世に出たというだけでなく,「気軽に書いては気軽に消す」という,当たり前の日常がついに始まった年でもある。(p69)
 プラスチック字消しは,日本生まれの日本育ちで欧米では普及していない。(p70)
 最近の段ボールはクラフト色だけでなく,カラーリングも豊富だ。梱包・荷物用という無骨なイメージも払拭され,ケースや化粧箱として使われることも多いんだとか。(中略)段ボールの進化系ともいえる強化段ボールを使い,デスクやラックなどの家具も作られ始めている。軽くて丈夫な段ボールの真骨頂だろう。(p117)
 色鉛筆は塗り重ねることによって表現をする画材だ。たとえば,「白の画用紙に白の色鉛筆を塗る」というテクニックがある。むだに思えるかもしれないが,その上に別の色を重ねることで独特の色味を生むことができる。(p132)
 普段毛筆に慣れていないとうまく書くのはなかなか難しいもの。そんなときに意識していただきたいのが「45度ルール」だ。まずは,書き始めるときに,上から見て左上45度の方向に穂先を向ける。これは点を打つときも,縦線や横線を引くときもそうである。書き始めから書き終わりまで45度の角度を保ったまま筆を動かすことで,安定して字を書くことができる。(p210)

2018年12月11日火曜日

2018.12.11 ブログもSNSもノートも,すべてはカード

● ブログとSNSはカード型データベースだ。Twitterは140字の制限がかかるからわかりやすい。1ツイート=1トピック。内容が多様な不定形のカードのようなものだ。それが集まればカード型データベースになる。
 ブログはかなり長くなるけれども,それでも畳1畳もある大きなカードに書いたようなものだ。取扱いはカード型データベース的なものになる。

● そうだとすれば,特にブログに関してなのだが,カードだと意識して書いた方が,あとの取扱いが楽になると思う。
 つまり,多くのトピックをひとつのエントリーに盛りこまないこと。

● ノートの書き方でもそうだ。ひとつのパラグラフに複数のトピックを盛らないこと。1パラグラフ=1トピック。これは意識せずともそうなるものだけど。
 ノートはカードを綴じて両面に書けるようにし,なおかつ,散逸しないようにしてあるものだと考えた方がいいかもしれない。

● となれば,日記的雑記であっても,ノートに代えて5×3カードに書いてはどうだろう。期間限定でやってみるか。カードはダイソーで買えるんだし,ジョッターも伊東屋本店まで行って買ったんだしな。
 それって『知的生産の技術』において梅棹忠夫さんが推奨していたことでもあるよね。

2018.12.11 ほぼ日手帳のweeks MEGAに惹かれる後ろ髪

● ほぼ日手帳のweeksはLoFt以外にも扱っている店があるので,そういうところでweeks MEGAを手に取ってみる。そして,これを使えればなぁと思う。
 が,32枚のA6ダイソーノートを10日で消費するんだから,MEGAのページ数でも足りるはずがない。MEGAのメモページはA6Campusの5冊分あるんだけど,現状では3か月しかもたない計算になる。

● MEGAで完結できれば,保存も楽だし,事後参照も便利にできるし,場所も取らない。しごく便利になると思うんだけど,そうはいかない。
 いっそのこと,weeksの判型でスケジュールの部分とメモの部分を分冊にしてくれれば。でも,それはほぼ日手帳のレゾンデートルに反するんだろうな。第一,そうなったら,高価なweeksのメモ帳は買わないだろうし。

● つまるところは,SYSTEMICで手帳とノートを一体化するのがベストという結論。

● 少し以上に書きすぎているとも言えるか。いくら何でももう少し絞ったらどうか,と。
 しかし,手書きの快適さを知ってしまった。書くために書いているのだ。何でもいいから書きたいのだから仕方がない。

2018.12.11 安物使いの自己弁護

● 安いから惜しげなく使えるとはよく言われること。が,一応言っておきたいんだが,ぼくは高いものでも惜しげなく使える。年齢のしからしめるところかと思うんだけど。
 その代わり,安いものでも大事に使う。大事に使うんだから,安いも高いもない。

● ノートはとにかく惜しげもなく使うことが大切で,惜しんで使ったのでは使っていないのと同じ。要は,そのノートが使えるものか使えないものかの問題だ。
 百円ショップのものを含めて,使えないノートはまずない。だから,惜しげなく,しかし大事に使っていけばよい。高いのも安いのも。

● 以上,安物使いの自己弁護。

2018年12月10日月曜日

2018.12.10 インプット≒アウトプット

● 日記的雑記をノートに書いていると,これはインプットなのかアウトプットなのか,わからなくなることがある。誰かの話を書きとめておくのはインプットで,自分が思ったことを書きだすのはアウトプット?
 そうそう単純なものではなさそうだ。

● インプットが直ちにアウトプットになり,アウトプットがそのままインプットになるという変幻自在なものかもしれない。
 だって,自分の中にあるものを外に書きだしてるときって,その過程を自分が見てるもんね。アウトプットとインプットを同時に行っているんだよね。

● 人間の脳ってのは,両方を同時にやるようにできているんじゃないか。本を読んでいるときでも,脳内で何らかのアウトプットをしながら読んでいるのかも。
 たとえば,そのシーンを具体的に思い浮かべているとか。それはもう立派なアウトプットではないだろうか。

● よくインプットばかりしていてアウトプットをしないとパイプが詰まる,アウトプットが大切だと言われる。でも,アウトプットなしのインプットなんてあるんだろうか。っていうより,そんなことができるんだろうか。
 必ず脳内でなにがしかのアウトプットをしているものではないか。そこを身体が手伝ってやるのは大事なことだと思うけれども。

2018.12.10 ダイソーノートの1冊目を使い終えた

● 1日に使い始めた3冊100円のダイソーノート(32枚)の1冊目を使い終えた。次は何にしようかといえば,3冊セットなのだから,まず3冊を使ってしまいたい。ので,次も同じダイソーノートにする。
 そのあとはダイスキンに戻る。理想は来年の1月1日からダイスキンに戻れることなのだが。

● ところで,『あなたに教えたい! 5分でわかる文房具44のトリビア』(セブンデイズウォー)によると,万年筆のペン先に付着しているイリドスミンの耐久性は,書ける文字数は500万文字以上で,まっすぐに線を引いたと考えると距離にして60㎞を超え,1日1000文字書いても10年以上ももつ,とある。
 イリドスミンの寿命が万年筆の寿命と考えていいんだろうか。

● 「開きやすいノート」に替えて以来,筆記量が増えたので,カートリッジインクの消費も進むようになったのだが,ぼくがノートに書いている文字数は,ザッと計算すると1日3300文字程度になる。となると,ぼくの使い方では3年ということになる。
 しかも,ぼくが使っている万年筆はPlaisirだ。ペン先は300円のPreppyと同じものだ。そのPreppyのイリドスミンなのだから,他の万年筆より粗悪なのだと思う。300円の万年筆にともかくイリドスミンが使われているだけで,プラチナすごいと思うくらいだから。

● それならもう寿命を迎えてもいいくらいだ。が,目下のところ,まだまだ行けそうだ。実際にはもっともつんじゃないかなぁ。
 イリドスミンの耐久力が尽きるまで万年筆を使い倒せれば,使い切ったという快感を味わえるだろう。それが楽しみでもある。

2018年12月8日土曜日

2018.12.08 伊東屋池袋店でお買いもの

● 池袋に行ったので,東武7階の伊東屋池袋店を覗いた。駅から東武7階というのは,もう自分の中に組み込まれてしまった経路というか。
 でも,買わないんだよね。ここにおいてるような高価なもの,使わないもん。Campusもあるんだけど,Campusを本格的に使うようになれば,たぶん安く買えるスーパーとかでまとめ買いをすると思う。
 文具店は自分にとってはショールーム。買うのは別なところ。パソコンとかもそうなんだよね。ヨドバシで実機を見るんだけど,買わない。ヤフオクで中古を購入する的な。

● しかし,しばしば覗いているのに,覗くだけでまったく買わないというのでは申しわけないとも思っている。ショールームだとしても,たまには使用料を払わなければならない。
 じつは,今日はこれを買おうと決めていたものがあった。
 職場の同僚が,娘(小3)にクリスマスプレゼントは何がいいと訊いたら,“お星様”と言うんだよ,やんなっちゃう,と話していたのだ。
 だったら,お星様を獲ってやれよ,屋根に登って捕虫網を振り回せば1個くらい捕まるかもよ,と言ってやったんだけど,まぁ天然の星は無理としても,星形の文具が何かないかと思ったわけだ。

● たとえば,星形の筆箱とか。さすがに細長いものを容れるのに星形はないようだった。
 結局,星を集めたクリスマスツリーと星をたくさんあしらったクリスマスカードを買った。星を捕まえてきたぞ,と同僚に渡すことにしよう。

● これから文具店で買うものがあるとすれば,自分用ではなく,人にあげるものになるかなぁ。贈答品というような御大層なものではなくて,もらっても負担に感じない程度の額のものを文具店で探すという。
 自分用のは百円ショップだったりスーパーの文具売場だったり,あるいはAmazonになったりする,と。

● なんか,そんな感じになりそうだ。要するに,自分のものは揃っているのだ。あとは“買いたい”を我慢できるかどうかの問題だ。我慢できないときは,無理にでも贈答品を作ってしまって,それを買うという具合になるんじゃないかと予想。

2018年12月5日水曜日

2018.12.05 遊びが文具を進化させる

● 8日にまた池袋に行く予定にしている、となると,東武7階の伊東屋池袋店を覗くことになるだろう。そして,何も買わないまま店をあとにすることだろう。
 ダイソーノートとPlaisirで満足しているのだから,伊東屋で買うものはないのだ。

● 文具は使うものであって,語るものではない。伊東屋で物色している人の中には語る側の人が多いのではないか。
 語る人は(ぼくも散々に語っているのだが),使うことにおいて抜かりがあることが多いのではないだろうか。

● 合格体験記とか勉強法の本ばかり読んでいる受験生のようなものだ。そうしたものを読むのは悪いことではないのだが,それで終わってしまって肝心の勉強をしないのでは本末転倒だ。
 そういう受験生は意外に多いのではないか。かく申すぼくは,その典型だった。違和感なく勉強できていれば,勉強法に深入りすることもないはずなのだ。

● 文具も同様で,違和感なく使えていて,そのことによって仕事なり趣味なりで成果を出しているのであれば,文具について語る必要もないはずだ。
 しかるに,文具に関してはそれ自体が趣味の対象になり得るところが厄介だ。文具に向かうのは,それを使って何かをするためではなく,それを使うこと自体が最終目的になり得る。

● あるいは,文具をコミュニケーションの介添え役にしたり。文具を介して誰かとコミュニケーションをする。そのためには,あまり使われていない文具,珍しい文具が役に立つ。
 それを探しに伊東屋に来る。そういう人も多いのではないかなと思ってみる。

● 文具をコミュニケーションの介添え役にすることを,文具で遊ぶと言い換えてもいいかもしれない。そのコミュニケーションの相手は他人とは限らない。自分であるかもしれない。
 そういう人たちが現在の百花繚乱の文具文化(?)を支えているのかも。文化を進化させるのは遊びなのだ。道具として黙々と文具を使っている人(実用派)ではないのだろう。実用を満たせばいいのだとなると,ぼくのようにダイソーノートと千円万年筆でいいことになってしまう。

● 違和感なく文具を使って仕事に役立てている人はひょっとすると少数派で,遊び派が多数派なのかもしれない。
 遊び派が進化させた文具の恩恵を実用派も享受する。そういう流れのように思われる。

2018年12月4日火曜日

2018.12.04 薄いノート,いいかも

● ダイソーの3冊100円ノートを使い始めたわけだが。プラチナの千円万年筆Plaisir(インクはブルーブラック)で書いている分にはまったく不都合はない。
 このノートもダイソーの定番になっていて,供給が絶えることはないようだ。何の変哲もないノートもいいものだ。
 Campus人気も何の変哲もないところに支えられているのかもしれない。もちろん,紙質等の品質が求められる水準をクリアしていることが前提だが,コクヨにその点で落ち度があるはずはない。

● 実用性だけを考えれば,ぼくには百均ノートで充分だ。何も不足はない。重さを量ってみた。44g。測量野帳よりも軽い。そりゃそうだ。枚数も少ないし,測量野帳はハードカバーなのだし。
 革カバーを付けた状態でも103g。厚さよりも軽さに惹かれ始めているかなぁ。枚数が少ないのは別にOKみたいな。

● 百均ノートを使わない人って,何にこだわっているのだろう。百均ノートの存在を知らない人はいないだろう。百均なんてという先入観があるんだろうか。もしそうなら,一度使ってみたらいいやなぁ。
 ノートくらいは贅沢したいということだろうか。そういう人って,よほどノートにこだわりがあるか,高額所得者か,あるいは1冊を半年かけて使うとかのライトユーザーなんだろうか。

● このノートはCampusのパクリで無線綴じ。Seriaには糸綴じのノートがあるらしい。20枚の4冊組。使ってみようか。20枚だと1冊1週間。
 薄いノート,いいかも。パッパと目先が変わるから,“飽き”を撃退できる。ノートも1冊使い終えると達成感がある。やったと思う。薄いとその達成感を何度も味わえる。
 意外にダイスキンに戻れないかもしれない。

● 合わせるペンはプラチナの万年筆に限る。0.38mのSigunoで書くと,裏に抜けるところまではいかないけれども,気にすれば気になる程度には裏側に痕跡を残す。プラチナインクならそこまでも行かない。
 Preppyは嵌合が緩くなったり,キャップにヒビが入ったりする。Plaisirならそれもなく,ダメになるとすればどこからダメになるんだろうと思う。軸かキャップかペン先か。ペン先ならPreppyのペン芯と交替すればいいだけだ。たぶん一生使えるだけの在庫がある。
 ペンってほんとに壊れないものだ。使い倒す人ばかりになれば,現在の販売数はとても維持できないだろう。3分の1にはなるのではないか。

● ということで,ダイソーノートと千円万年筆で,快適筆記ライフ。
 ただ,ね。この分野ではCampusも充分に安いからね。普段使いのノートはCampusでいいでしょうね。あるいは無印の薄いノート。百均ノートにこだわることもない。
 で,普段使い以外の使い方はないわけでね。いずれは,SYSTEMICにCampusを挟んで使うスタイルに行きたい。その前に在庫を使ってしまわないと。

2018年12月1日土曜日

2018.12.01 ダイソーのCampusもどきを使ってみる

● 測量野帳のあとは,ダイソーのCampusもどきを使ってみることにした。A6のCompleteというやつ。B罫32枚。3冊組で売られているから,96枚で100円ということになる。MADE IN INDONESIA。
 Campusを忠実にモデルにしているというか,パクっているというか。綴じもCampusと同じ無線綴じ。

● Campus(48枚)も安いところでは77円(+税)で買えたりする。この点,ダイソーだからといってコストパフォーマンスで圧倒しているというわけではない。モレスキンに対するダイスキンとは,ここが違う。
 “ダイソー Complete”でググっても,あまりヒットしない。ヒットしたものを見ても,あまり詳しくは書かれていない。

● ダイスキンに比べると,存在自体が地味っぽい。ダイスキンはモレスキンとの対比で語られることが多く,モレスキンは良くも悪くもノート界の華だから,ダイスキンもその恩恵を受けて熱く語られる。
 かたや,Campusは昔からある質実剛健ノートの代表で,人目を引くようなとんがったところがない。そういうわけで,ダイソーのCompleteもあまり話題にならないのだろう。ネットでも地味だ。

● いずれはコクヨのSYSTEMICにCampusを挟んで使ってみようと思っている。CampusとA6手帳を挟むのがSYSTEMICスタイルだと考えているんだけども,このCampusもどきで予行演習をしようかとも思った。
 が,ノートカバーはSYSTEMICのほかにもうひとつ手元にある。Amazonで革製のカバーを買っていたのだ。使う機会がないまま今日に至っている。段差問題はほぼまったく考えられていない。正直,積極的に使いたいとは思わない。
 が,こういうときにでも使わないと,それこそ使わないままで終わりそうだ。とりあえず,皮カバーにCompleteを挟んで使ってみよう。

● ダイスキンに比べると,紙の色が白い。上質紙なのかと思いそうになったのだが,上質紙にしては繊維の目が粗い感じがする。
 紙質は再生紙使用をうたっている測量野帳(セ-Y21N)に及ばない。っていうか,及んでいたらコクヨの立場がなくなる。

● ダイスキンに万年筆で書くと,カリカリと刻んでいくような書き味になる。それもぼくは好きなのだけど,ペン先が滑るように動いていくのも悪くない。その感じは「開きやすいノート」や測量野帳でタップリと味わった。
 このCompleteはダイスキンよりは滑るけれども,書き味は,「開きやすいノート」や測量野帳よりも,ダイスキンに近い。

● プラチナのブルーブラックでは裏抜けはまったく生じない。普通に支障なく両面使用が可能。まだ使い始めたばかりだけれども,ノートとしての実用性には問題なしと見る。
 左右ページの罫線の位置ずれはあまりない。まったくないわけではないが,故意に気にするのでなければ気にならないレベルに収まっている。

● これを3冊100円で売るのだから,さすがはダイソーだと思う。思うけれども,このノートをさらに買い増すことはない。手元にある3冊で終わり。

2018年11月30日金曜日

2018.11.30 測量野帳を使い終えた

● ずっと96枚のノートを使ってきた。1冊のノートを使っている間は,同じノートに書いた自分の文章を読み返すことが否応なくある。使い終えて書棚に置いたノートを読み返すことは,ぼくの場合はない。
 だから厚いノートを使った方がいいと思ってきた。1冊のノートを使う期間が長くなるからだ。その分,前の文章を読み返す機会も増える。

● 測量野帳は40枚。今月21日に使い始めて,今日,1冊を使い終えた。ちょうど10日間。
 薄いことによるデメリットは特に意識できていない。次のノートに移ったときに思うのかもしれないけれども,意識しないままではないかという気もする。

● ということは,同じノートを使っている間は読み返すことになると思っていても,じつはあまり読み返していなかったのではないかということだ。
 もしそうなら,薄いノートの方が当然軽いわけだから,軽い方がいいんじゃね? ということになる。

● さて,明日からは何を使おうか。もう1冊同じ測量野帳のセ-Y21Nを使ってからダイスキンに戻ろうと思っていた。今の調子でいけばダイスキンも1ヶ月以内で使い切れるはずだ。
 測量野帳はこの1冊でいったん終わりにして,以前ダイソーで買ったCampusもどき(32枚のA6ノートが3冊で100円というやつ)をシステミックに挟んで使ってみようか。
 先日,無印で買った30枚のA6ノートでもいい。

● 正直なところ,わずか10日間でも測量野帳にちょっと飽きがきている。不満はまったくないのだ。ないのだが飽きる。どんなノートでもこれがある。
 だから,ダイソーのCampusもどきも3冊連続で使えるかどうか。途中でまた測量野帳を挟むかもしれない。 

● というわけで,どうしようか。まだ決めかねている。

2018年11月27日火曜日

2018.11.27 目先を変えるって重要?

● ノートに書く量ということに限ってみても,波がある。「開きやすいノート」に替えてから大きな波が来ている。測量野帳にしてからもそれが続いている。
 ノートを替えたから波が来たのか。替えなくても来たのか。

● 波の具合は百パーセント内発的なものではない。環境の影響を受ける。その限りで波は操れるものだ。
 が,環境をどういじってみても,如何ともしがたいものでもある。その限りで波は操れないものだ。

● しかし,“書く”なら,調子が出ないときは,ペンやノートを替えてみるという一手は指してみるべきだと思う。巧く行くかどうかはわからないけれども,可能性はあるわけだから。
 「開きやすいノート」に替えて筆記量が増えたのは,たぶん,替えたこと自体によるものだ。替えると変化がある。その変化を書いているわけなのだが。いちいち書くまでもないだろ,そんなもの,という意見もあるだろうけどね。

● ノートが変わればいくつかの筆記具も試してみたくなるし,それによって目の前の風景が変わる。見える風景が変わると,書く量を増やす効果がある。カフェに行って書くと,何だか知らないけどたくさん書けるのと同じ。
 逆にこのまま測量野帳を使い続けると,ダイスキンを使い続けたときと同じように,まったく書かない日が続くこともあるようになるのだろう。

● 実際の話,そうした変化によって増えた分というのは,どうでもいい内容ばかりになるのかもしれない。ぼくの場合はどうやらそうだ。
 だから無意味かというと,そうとも言えない。少なくとも,マンネリが途切れる。ノートを使うというそのことに勢いがつく。気分がよくなる。その効果は無視できない。

● どうでもいいことが,そうではないものを引っぱってくることもあるかもしれない,と思う。自分の中に眠っていたものが,どうでもいいことのどこかに付着して表に出てくることもあるのではないか。
 その眠っていたものもさほどのものではないのだと思うけれど,それを引きずり出せたときの快感というのはあるように思う。

● だから,時には目先を変えた方がいいのだろう。安定は停滞につながるという言われ方は,こうした些細なところでも成立するのではないか。
 ぼくの場合は,比較的初期に,ダイスキン+Preppy というスタイルでサッと安定した。が,いったんできあがった安定は壊した方がいいのだろう。で,別の安定を目指す。その繰り返し。

● 安定がもたらす実りというのは,あまりないのかもなぁ。
 だから,ダイスキンを大量に買いためて在庫を作ってしまったのは,あまり良くなかった。あの頃,ダイスキンはいつまであるかわからなかった。ので,見つけると買っていたんだけど,それでもそうすべきではなかったか。
 制限が安定を妨げてくれる。その制限は善であるのかもしれないのだ。

● と,些細なことを大げさに語ってしまった。目先を変えてみるって,たんに方法論の問題だと思う。それ以上の意味などあるわけがない。
 が,方法が自分の見える世界を決めるかもしれない。

2018年11月25日日曜日

2018.11.25 池袋の東武百貨店の7階

● 池袋東武の7階にある旭屋書店と伊東屋を覗く。覗くだけで買うつもりはない。すでに文具は満ち足りている。買うとすれば,衝動買いに限られる。

● まず,旭屋書店でも手帳売場が目立つ。その中でも最も目立つところに置いてあったのが,高橋のTorinco。いくつかのパターンがあるようなのだが,メインはたぶん,ほぼ日タイプの1日1ページ。
 ほぼ日手帳(のオリジナル)はカバーを付けて使うことになるだろうから,それ込みで考えると,こちらの方が圧倒的に安いんだけども,いわゆるトンガリがない。堅実ではあるんだけれども。
 パタンと180度開くというわけではないので,このあたりを消費者がどう判断するかかな,と偉そうに言ってみる。

● おそらく,ほぼ日手帳からこれに乗り換える人はいないだろう。同様の理由で,EDiTからの乗換え組も出ないだろう。
 となると,新たに1日1ページ手帳に参入してくる人たちをどれだけ捕まえられるかという話になるんだろうか。

● おそらく,そうではないのだと思っている。ぼくは手帳は1冊に絞る。ずっとそうしてきた。複数の手帳を使い分けるという発想はまるっきりない。
 ところが,世の中にはそうじゃない人たちも多いらしいのだ。2冊といわず4冊や5冊も使う人が,けっこういるらしいのだ。そういう人たちの中に,もう1冊加える人がいるんだろう。

● Googleカレンダーが出て,スケジュール管理はデジタルできるようになった。誰もがスマートフォンを持つようになったし。
 にもかかわらず,紙の手帳の売行きは衰えるどころか増加傾向だと聞く。紙手帳のユーザーの絶対数が増えているのではなくて,複数使いが“複数”の数を増やしているからではないかと見ている。

● 伊東屋。何度かはここで買っている。けれども,ぼくは伊東屋の顧客ではない。
 伊東屋って高級品を売りたいと思っている感が濃厚。万年筆とかシステム手帳とか。独自ブランドのROMEOもそうだし。ま,どこでも利幅が大きい高級品を売りたいはずだけれど。

● 右は800本の限定生産の万年筆。1本が15万円。もちろん,ぼくには買えない。工芸品なんだよね。万年筆は使ってナンボなんだと思うんですよ。これ,飾っておきたくなるっしょ。使うのを躊躇させるようなものはダメっしょ。
 そう思ってしまう輩は,どうもなぁ。

● 左はギフトのパンフレット(の表紙)。文具をギフトに使ってもらいたい。それはサプライヤーとしては切に思うものだろう。高額商品が売れるから。
 私の新しいスパイス,彼の仕事時間を豊かに,大人になっていくあの子に,お散歩好きなあの人に,の4部構成。女性に宛てている。ギフトって女性が主導権を握っているものね。

● 伊東屋オリジナルの測量野帳もある。380円。そのオリジナル分に差額180円を払えるか。LoFtの80円でも払えないと思ったのだから,180円を払えるわけがない。
 素の状態の完成度が高いこともある。あの深緑色がすなわち測量野帳だ。余計なことをするなと言いたい気持ちもある。
 ところで,LoFtでも伊東屋でも,オリジナル仕様になっているのはSKETCHのみ。一般ユーザーが使う測量野帳はSKETCHが多いのだろう。3mm方眼が好まれているんでしょうね。

● デザインフィル社のシステム手帳PLOTTERにも注目。リフィルだけでもノートのように使え,使い終えたら切り離してバインダーに綴じておくことができる。便利っぽい。システム手帳に綴じた状態で使うには,何といってもリングが邪魔。これはそこを回避する方法のひとつを提示している。
 このリフィルに合うカバーは必ずあるはずだから,数種のリフィルを挟んで持ち歩くようにすれば,トラベラーズノート的に使えそうだ。
 って,デザインフィルってミドリの系列会社なんですね。トラベラーズノートとは兄弟の関係だ。

● が,買わない。第一には高いから。惜しげなく使う度胸がないのだ。惜しんでしまうと思う。
 ノートを惜しんで使うのは,使い方として最もまずいやり方。ノイズを載せるのを怖れてはいけない。そのためには安いノートがいい。
 というわけで,何も買わないで下りのエスカレーターに向かったのでした。

2018年11月24日土曜日

2018.11.24 ハードカバーの“紳士なノート”

● 自治医大駅前の“うさぎや書店”の文具売場にこういうのがあった。モレスキン的な“紳士なノート”。前からあるものだろうけど。
 最も小さい判型のものが1,800円。96枚。どんな人が買うのだろうと思った。Campus(A6 48枚)なら同じ店で110円で売られているのだ。

● 清水の舞台から飛び降りるつもりで買おうかと思ったんだけど,横罫がなかったのでやめておいた。もちろん,買わなくてよかったんだけどね。
 モレスキンとは真逆の高品質であることは使わなくてもわかるんだけども,このノートとCampusの間に,1800:220ほどの品質の違いがあるとは思えない(そういう直線的な比較に,意味はあまりないんだろうとは思うんだけどさ)。

● ましてダイスキンなら96枚で100円なのだ。こういう高価なのを買う人って,あまりノートを使わないんだろうかなぁ。
 ガンガン使う人はCampusを買うよねぇ。いわゆるできる人は,ガンガン使う人の中にいるはずだ。できる人はCampusを使っていると言われることがあるのは,そういうカラクリによるのではないかなぁ。
 もっとも,ガンガン使うからといって,そうした人のすべてができる人ではない。くれぐれもそうではないことにご注意。

● このノート,栃木県内の他の文具店ではあまり見かけないんだよね。この一帯は医者の居住率が高いんだろうね。それがこういう高級ノートが置いてある理由だろうかな。
 違うような気がするな。医者ってそういうビヘイビアには走らないような気がする。
 医者の子どもが買うんだろうかなぁ。ようわからん。

● ぼくはやっぱり大衆品がいいなぁ。今使っている測量野帳は200円だよ。Amazonでまとめ買いすれば135円だよ。充分に書きやすいよ。

2018年11月23日金曜日

2018.11.23 ノートカバーを見る

● 落合書店宝木店に来た。覗くのは書籍ではなくて,文具売場の方。
 ここの文具売場は,宇都宮ではジョイフル本田,上野文具本店に次いで,3番目に広い売場面積を誇るのではないかと思う。宇都宮LoFtの文具売場より広いような気がする。

● といって,欲しいものはないのだ。ペンもノートも在庫が充分以上にあるからだ。加えて,ペンはプラチナのPlaisir1本であらかたすむのだ。
 買いに来たのか冷やかしなのか。店員には一発でわかるものだろう。ぼくは冷やかしなんだよね,基本。

● ノートカバーに注目した。ほぼ日手帳カバーを含めて,ノートカバーは3つ持っている。ノートはA6しか使わないので,同じサイズのカバーが3つあるということ。
 いや,2つだった。コレクトのカバーは表面がボロボロと剥がれるようになってしまったので,先日,処分したのだった。

● 2冊挟めるタイプが主流になっているようだ。ノートと手帳を一緒に持ち歩けるということだろう。その筆頭はコクヨのSYSTEMIC。ぼくもすでに持っていて,いずれCampusとマンスリー手帳をSYSTEMICに入れて使おうと思っている(使わないかもしれないが)。ノートと手帳に関しては,それが最終スタイルだとイメージしている。
 同じようなものがコクヨ以外からも出ている。店頭で見かけたのはアピカとパイロット。

● ノートカバーの難は,表紙を挿し込む構造のため,挿込口が段差を作ってしまうこと。ここをどう解決するか。知恵を絞った製品が出ている。
 SYSTEMICはノートの表紙全体を挟むことによって段差を作らなくするという発想で対処している。アピカも同じ対応。

● アピカ製品もよく考えられているけれども,コクヨのシステミックに一日の長があると思える。が,好みの問題の範疇か。
 SYSTEMICは挟んだあと,それが下敷きにもなる。表紙が硬いから,ハードカバーノートと同じで,立った状態でも書くことができる。あまりやりたくはないが。
 アピカではそれは難しい。その代わり,カバーを付けた状態でも柔らかい。重量も増えない。

● SYSTEMICは質実剛健の気風あり。男性的。だからこそ女性に使ってもらいたいと,ぼくなんぞは思う。ゴムバンドも付いているから,通勤や出張の鞄に突っこんでおいても安心だ。
 アピカは嫋やかな感じ。女性的。だから男性も使った方がいいとはあまり思わない。これはやはり女性が使う方が絵になる。
 以上を要するに,女性の方が選択肢が多い。ノートカバーに限らないでしょうね。

2018年11月21日水曜日

2018.11.21 罫線について

● チアックを買い占めることができなくてよかったと思う理由のひとつは,それが方眼だったことだ。方眼ノートも何冊か手元にあるんだけど,使わないで残ってしまっている。
 ノートには文章しか書かないわけなので,圧倒的に横罫が使いやすいのだ。

● 横罫が最もあるふれている。ありふれたものに対する批判は必ず生まれる。思考が罫線に縛られて直線的になりがちだ,広がりを欠くようになる,とかね。
 で,今は方眼礼賛が流行中。方眼に縛られるということはないのかい? 方眼を使うと思考に広がりが生まれるかい?
 自分は方眼が好きだとか,ダイスキンに方眼があればとか,方眼の流行中にそんなことを言っているのは,私はバカですと言っているようなものだ,と感じたりもするんだよね(→おまえに言われたくねーわ)。

● 思考を縛るという話に戻ると,もしそういうことがあるとするなら,その悪さをするのは罫線の有無や種別ではなくて,線の印刷の濃さだと思う。
 ロディアの方眼線で方眼のマス目に囚われないで文字を書ける人なら,横罫か方眼かにこだわる必要はそもそもないのではないか。罫線を無視できる人だからだ。
 総じて神経質になりすぎているのではないか。ダイスキンの罫線は濃い方に属するが,昔のノートはもっと濃かったような気がする。

● 今のノートはどれも罫線は薄くなっている。色も目立たないグレーっぽいのが多くなった。昔は青が多かったように記憶する。
 そうなると,罫線を気にしても仕方がないわけだが,ぼくはやはり横罫がいいな,と。同様に方眼がいいという人がいてもいいわけだ。

● が,それにしたって方眼が幅を利かせすぎているのではないかと思ってしまうんですよ。方眼を使うとできる人に見えるとか思ってない?
 心頭滅却して,できる人に見せようとする欲を消した方がいいよ。どうせ見えないんだから。

2018.11.21 コクヨへのリスペクト

● 子供の頃,コクヨは大衆品の代表だった。最も多く使われていたから。何せ,皆,田舎のよろず屋で買うんだから同じものになるのだ。そのよろず屋で扱っているのがコクヨしかなかったんだから。
 原稿用紙もレポート用紙もコクヨ。だから,コクヨじゃないものを使っている子がいると,おまえ,すげーな,となった。

● 大人の世界でも,原稿用紙についてはコクヨを軽んじる風潮が残っているのではないか。満寿屋の原稿用紙じゃないんですか,的な。満寿屋や相馬屋も今ではだいぶポピュラーになっているようでもあるが。
 今はプロの作家でも,パソコンで原稿を書いている人が多いだろうから,原稿用紙はあまり使われなくなっているのだと思うけど,もし,ぼくが今,原稿用紙を必要とするのであれば,ありふれたコクヨを選ぶだろう。
 原稿用紙なんて何でもいいからじゃなく,コクヨへのリスペクトゆえだ。満寿屋のものがよりいいのかもしれないけれども,コクヨにすると思う。

● 便箋もそうだ。コクヨの「書翰箋」が広く使われていた。よろず屋にはそれしかなかったし,安かったからだ。
 だから,コクヨの便箋は大衆品=安物,のイメージがあった。大切な人に手紙を書くときには,もっと高くていいやつを使うべきだよな,などと生意気にも思ったものだ。
 が,そのコクヨの“安物”に何か不都合があったかといえば,特になかったと思う。

● 今でも状況は基本的に変わるまい。コクヨ製品は無個性の代名詞。ユニークな人は,小粒でもピリリと辛い,知る人ぞ知るの製品を使っている的な思いこみがあると思うし,自分は違いのわかる男(女)だからこれを使っているよ,と言いたい人もいるだろう。
 が,その思いこみこそが無個性というもの。大衆品,一般品として磨きをかけ続けてきた(であろう)コクヨの企業努力を,ぼくはリスペクトしている。

● ありふれたものを使って個性的な成果を生みだすのが,何といってもカッコいいではないか。プロという感じがするではないか。
 ノートでもペンでも,それ自体がユニークなものを使っている人って,それで満足してしまって,そこで終わっていると感じられる人が多くないか。もっと辛辣にいうと,自分は平凡だとどこかで自覚しているから,道具で自分に付加価値を付けようとしているのではないか。

● コクヨへのリスペクトというときに,もうひとつ感じることがある。自社が提供している製品に対する責任感のようなものを感じることがある。たとえ儲からなくても,需要がある間は供給をやめないという。
 綴じ紐の供給をコクヨが続けていることを知ったときに,そう思った。綴じ紐を今も使っているところは,そんなにないのではないか(そうでもないのかね)。さほどに儲かっているとも思えない(そうでもないのかね)。
 が,今でも一定の需要はあるのだろう。昔,その需要を見て取って製品を投入した以上,需要がある間はユーザーに不便をかけないという覚悟がほの見えるような気がする。ほめすぎだろうか。

2018.11.21 測量野帳を使ってみよう

● 昨日で「開きやすいノート」を使い終えた。では,次は何にしようか。続けて「開きやすいノート」を使おうか,ダイスキンに戻ろうか。
 測量野帳を使ってみることにした。ダイスキンじゃないノートを1冊使って,ダイスキンに戻らないのは,今回が初めてだ。ダイスキン離れ? いやいや,いずれはダイスキンに戻ると思う。

● 測量野帳はLEVEL,TRANSIT,SKETCHの3種類。通常版の他に耐水版や再生紙を使ったものがあるが,コクヨのサイトを見る限りでは,LEVELが最も売れているらしい。再生紙版はLEVELしかない。
 今回使うのは,その再生紙版のLEVEL,セ-Y21Nだ。165mm(縦)×95mm(横)×6mm(厚さ)で40枚。3点糸綴じ。

● ダイスキンを揶揄するのに,1ページ目と最終ページは,扉との糊付け部分がたっぷりあって,事実上使えないという言い方がされる。が,それはモレスキンもそうだし,この測量野帳も同じだ。「開きやすいノート」もそうだった。
 糸綴じのノートはすべてそうではないか。いや,無線綴じのCampusだって1ページ目と最終ページは使う気にならない。

● 再生紙使用ゆえ,「筆記具によってはインクがにじむ場合があります」との注意書きがあるのだけれども,万年筆(プラチナインクのブルーブラック)で書いても,滲みや裏抜けは完璧になし。快適に使える。
 再生紙でここまでの品質を確保するとは,さすがは王者コクヨ。しかも,「開きやすいノート」の紙よりも薄く,肌触り(?)もいい。

● シグノの0.38mmでも裏抜けの問題はない。ただし,シグノを使うと裏写りの問題が出る。
 普通に言われる裏写りではなくて,左ページに書いていると裏の右ページのインクを前のページに写してしまうのだ。万年筆で書いた方がきれいに使えるようだ。でなければ下敷きを使った方がいい。まったく現実的ではないが。

● LEVELだから左ページに赤の縦線がある。それは無視して,普通の横罫ノートとして使用する。それしかできないから。
 半月で使い終えるくらいのペースで書いていければと思う。頭の中にあるのものサッサと野帳に移してしまいたい。それがなかなかできないわけだが。

● この縦線を活かした用途を考えようとする人もいるだろう。その中からハッとさせるような使い方が表れてくるのだろう。その工夫がぼくには思いつかないわけだ。
 右ページにも1本縦線を引けば,枠が7つできる。見開き1週間のバーチカルスケジュール表になるだろう。が,手帳は別にある。
 縦線で区切られた枠を活かして家計簿にすることもできるだろう。が,家計簿をつけてお金持ちになった人はいない。

● そうしたありきたりの発想ではなく,もっと何かアッと言わせるような使い方はないものか。
 いやいや,ネットにはいくつもあるよね。そういうのを見て,なぜ自分はそれを思いつかなかったのかと思う。理由は2つしか考えられない。ひとつは,バカだから。もうひとつは,必要のないものだから。
 やはり,必要は発明の母なのだろう。小さな工夫もその多くは必要が生むものなのだろう。

● 使い始めたばかりなので,たしかなことは言えないんだけども,このサイズ,この軽さ,この頑丈さを愛でる人が多くいることは納得できる。
 なかんずく軽さだ。計測してみた。このセ-Y21Nは67g。無印良品版のSKETCHは71g。
 ちなみにA6ダイスキンは122gだった。昨日まで使っていた「開きやすいノート」はほぼ日手帳カバーを付けた状態で276g。軽さは正義だね。

● というわけで,数年前に買ったものの,使うのは初めての測量野帳。楽しませてもらいたい。

2018年11月20日火曜日

2018.11.20 「開きやすいノート」を使い終えた

● 使い始めたのは10月14日。38日間で1冊を使い切れた。最近にない快挙(?)。
 ダイスキンに比べれば同じ96枚でも筆記可能面積はだいぶ多い。にもかかわらず,短時日で使い切れたのは嬉しい。たくさん書いたということだから。書きゃあいいってもんじゃないでしょ,と言われればそれはそのとおりなんだけど。

● ノートを使うようになって数年経つけれど,過去のノートをあらためて読み返したことはない。“ギャッと叫んでロクロ首”になりそうなので。
 でも,この「開きやすいノート」は読み返すと思う。ブログのネタになりそうなことが,けっこうな数,眠っているような気がするので。ブログにできるものはブログの形で整理しておきたい。ノートはだしがらになるのが理想だ。

● 書けばいいというものではないとしても,書く量を増やすためにまずやらなければいけないことは,とにかくノートを開いて,右手にペンを持って書く姿勢を作ることだろう。
 そのままノートを閉じてもいいから,書く姿勢だけは作ること。できれば1行でもいいから書くこと。何か書き始めれば,案外次々に書けたりする。
 脳が先か指が先かの問題だ。脳にあることを指が文字にしていくのか,指が動きだすと脳がその後を追って動きだすのか。指が先という人がけっこう多いのではないか。だからまず姿勢を作ることが必要だし,役に立つのだ(と思いたい)。
 読書も同じだろう。読む量を増やしたければ,とにかく本を手に取ること。読まなくてもいいから,まずは手に取るというアクションを起こすこと。

● このブログの文章も,「開きやすいノート」に書いたことを書き写しただけのことが多い。だったら,最初からキーボード入力すれば無駄がないじゃないかと思うわけだけども,どうもそういう単純な問題ではないようなのだ。
 キーボードで打ち直すのは大した手間ではないし,その過程で文章の推敲もできる(推敲した結果がこれかよ,とは言わないでくれたまえ)。
 まずは手で書いた方がいいと思う。面倒でもまずは手で。それがなかなかできないわけだが。

● 最初にTwitterでツイートしたことをあらためて手で書くことは,特に億劫感が強くて,まずしないのだけれども,それもやった方がいいのかもしれない。
 それをすることによって,指先が脳の思いつきを広げてくれたり深めてくれたりするかも。
 脳を全面的に信用しない方がいいようだ。身体と脳は連動している。脳が単独で何かをすることを野放図に許しておかない。意外に大切なことかもしれないと思う。

● 使っている最中にダイスキンが恋しくならなかった。初めてのことだ。「開きやすいノート」は“私に書いて,書いて”と誘ってくるのだ。“私を触って”ってね。
 つまり,いいノートなのだ。価格も96枚で300円(A6)。気立てが良くて働き者。しかも健康で,多少手荒に扱っても病気になったりしない。
 現在は販売終了になっている。無印良品の店に行っても売っていない。あと4冊の在庫があるのだけど,こんなことならゴッソリと買いためておくんだった。

2018年11月19日月曜日

2018.11.19 手帳雑感

● 仕事を引退したら手帳を変えるつもりでいた。今使っているのは能率手帳(のシステム手帳版。BindexのNO.011)。引退後に使うのはA6サイズの薄いマンスリーを想定していた。百円ショップで売っているようなやつ。
 それをA6のCampusと一緒にSYSTEMICに挟んで使えば,手帳とメモ帳をひとつにできる。引退後はそのスタイルで行こうと思っていた。

● 引退すれば仕事上の予定は自動的に消失する。今でも仕事のために手帳を使っているとは言えない状態なのだが,引退後は完璧にそうなる。残るのはプライベートな予定だけ。ぼくの場合だと,コンサートとか映画とか。
 それらはたぶん憶えていられる。好きなことだから。あるいは,カレンダーに書いておけばいい。手帳を使うにしてもウィークリーは要らない。マンスリーで充分だ。

● が,実際に手帳を変えることなどできるのか。もう何十年も同じ手帳を使ってきた。長年連れ添ってきた古女房のようなものだ。
 仕事を離れたからもう必要ない,などと切り捨てることができるだろうか。

● 仕事を辞めた後も,BindexのNO.011を使い続けるかもしれない。ここまでのスペースがある手帳は明らかに要らない。
 が,それを言うなら,今だって要らないのだ。今だってすでにメインの用途はプライベートに移っているのだから。
 ということで,どうなるかわからない。楽しみなことだ。

● 書店に行くと,『Asscie 手帳フル活用術』という手帳ムックが平積みになっている。『Asscie』は年に1回,手帳特集を組んできた。それを集大成(あるいは取捨選択)したものだと思う。安いものだし,買おうかと思ったのだけど,買わないでいる。
 たぶん,すでに読んでいる(見ている)はずだし,Asscieだから仕事手帳の話で満ちているはずで,ぼくのように第一線からはすでに退いている者にとっては,場面が重ならないだろう。
 仕事から退いているというのをあまり行動変化の理由にしない方がいいとも思うのだが,手帳で細かいスケジューリングをすることはあるまい(今までもやったことがあったか)。
 
● 手帳の使い方は,これまで「ほぼ日」が提唱してきたのが本流であるべきだと思っている。愉しみとしての使い方。手帳で遊ぶということ。
 言葉を換えると,Instagramに上がっているような使い方。それに対して,ぼくは何度か揶揄する言い方をしてしまっているのだが(緩いだけの使い方とかね),結局のところ,そうした使い方ができるのを幸せというのだろう。

● 生産性を上げるための手帳術に没頭する時期があってもいい(というか,あった方がいい)と思うのだが,いつかは“遊び”に至らなければいけないものだろう。
 いつまでも生産性にとどまっていてはいけない。若いときから遊び一辺倒の使い方しかしていないというのも,何か違う気がするが,それはぼくが前世紀の時代風潮から自由になれないでいるせいかもしれない。

● しかし,ぼくがここまで言ってきたことは,つまるところ外部基準に依拠していて,常識の範囲にとどまっている。いい子の範囲内というか。ジャンプがない。新たな何ごとかを付加していない。
 そもそもが手帳本を買おうとしている時点でダメだよな,的な。人の経験知を参考にした方が効率がいいということはあるにしても,その効率を超えるような何かを持っていないとダメなのだろう。人の経験知など参考にならないくらいの,強烈な何か。
 すごい人は突き抜けているのだと思う。その突き抜けは勘違いによるものでいいのだ。勘違いでいいから,人の経験知など吹っ飛ばすような強烈な何かを持っているといい。正確に言うと,持っていると思い込めればいい。

● 教科書や参考書を求めているようでは二流どまりだろう。さらに敷衍すると,自己啓発書を読んでいるようなヤツはダメだろう。
 自分は二流どころか三流にとどまってしまった。それが老境にさしかかる年齢になっても変わらない。
 それがつまり,自分の器量というか排気量なのだ。器量や排気量は生まれつきのもので変えることはできない,とは思わない。思わないが,自分はこういうふうに来てしまった。こういうふうにしか来れなかったのかもしれない。

● って,話が手帳からずいぶん大きくなってしまったな。

2018年11月18日日曜日

2018.11.18 セブンイレブンの文具

● セブンイレブンの文具売場を覗くと,かつてあった“by LoFt”の表札(?)は消えているんだけど,“by LoFt”商品がまだ少しは残っている。
 この動きは店舗によって差があるようにも見受けられるんだけど,基本的にはセブンプレミアム商品に置き換えていく方針なんだろうか。

● セブンプレミアムのブランド構成がよくわからない。セブンプレミアム,セブンプレミアム・ゴールドのほかに,セブンプレミアム・ライフスタイルがある。
 文具や化粧品,シャンプーなどにこの“ライフスタイル”が付けられているんだけど,どういう使い分けをしているのだろう。ライフスタイルに絡むものは,セブンイレブンが扱っている商品のすべてだと思うのだが。

● セブンイレブン鹿沼上材木町店の文具売場には,“by LoFt”がけっこう残っている。が,“by LoFt”でも“セブンプレミアムライフスタイル”でも,ノートはほぼコクヨ製。コクヨにしたらどっちでもいいよってことでしょう。
 文具に関しては,メーカーがセブンイレブンに膝を屈する感はない。コンビニの販売比率があまり高くないのだろう。これからも高まる予感はしない。

● スーパーの文具売場も同様だ。文具に,は定価でいいから文具店で買うものという風潮があるように思える。実用品というより,嗜好品に近いものになっているんだろうか。
 ブランド品と似ている。どこで買ったかが重要,という。アウトレット店ではダメ,っていう。中身は一緒なんだからどこでもいいじゃないか,安い店で買えばいいじゃないか,が通用しない世界。

● でもさ,どこで買ったかが重要っていう姿勢には大衆性を感じるんですよ。それって,完全にブランド品に負けてるもんね。
 大げさに言うと,自分の美意識がブランド品に従属しちゃってる感じ。

2018年11月17日土曜日

2018.11.17 福田屋でLoFtと無印良品を覗く

● 相方のリクエストに応じて,暗くなってから福田屋(竹林の方)に来た。福田屋に来たからには,LoFtの文具売場を覗くことになる。
 LoFtの魅力って何なのだろう。値引きなしで売っているんだから,価格は他の文具店と変わらない。文具売場の面積は限られているのだから,圧倒的な品揃えというわけでもない(品揃えで勝負できるのは渋谷LoFtくらいだろう)。でも惹かれる。何となくキラキラした感じがするからかねぇ。

● 「ほぼ日手帳」はここでしか買えないからかもしれない(weeksは他でも売られている)。その「ほぼ日手帳」を中心に手帳を見て歩く。
 自分の来年の手帳はとっくに買ってるし,「ほぼ日手帳」のカバー・オン・カバーも先日買って,「開きやすいノート」を挟んで使用中なので,買いたいものは特にないんだけど。

● 次にノートやメモパッドの棚を見る。測量野帳にビニールを被せたLoFt仕様が280円,A6Campus(30枚)にLoFt独特のデザインと防水を施したものが180円。
 買う人がいるから,これらが売られているんだろうけど,ぼくはまったく食指が動かない。素の測量野帳は200円で買えるのだ。まとめ買いをして1冊あたりの単価を150円にする人が多いだろう。Campusは48枚がコンビニでも120円で買える。ぼくは迷わずそちらを買う。

● が,こういうものが売れるのはそこそこ豊かだからだろう。さらにもっと豊かさが増すとかえって売れなくなるのじゃないかと思うのだけど,現状ではこれに差額を投じてもよいと思う人がいる。ノートのコレクターもたぶんいる。いい時代なのだ。
 とはいえ,どんな加工でもいいというわけではないだろう。販売側も知恵を絞っているはずだ。ぼくがアーダコーダということではない。

● 筆記具は見なかった。つまり,今のところ,筆記具には興味が行っていないということ。手帳とノートにしか興味がないのだろう。なぜかといえば,筆記具はこれ以上増やしても使わないまま終わることがかなりの確度で明らかだからだ。
 対して,ノートはいずれ必ず使う。かなりの在庫があるけれども,消費のスピードが筆記具とは全然違う。

● もうひとつ,無印良品。LoFtも無印も堤清二さんの西武の系列だったもの。堤さんは傑出したイノベーターだったんだろうかなぁ。
 先日,700円の「滑らかな書き味ハードカバーノート」を買ったばかりだけど,現在使用中の「開きやすいノート」に魅せられている。無印ノートはもっと買ってもいいかなと思っている。

● で,ずいぶん丹念に現品を確認。「1日1ページノート」を購入。手帳棚にあった。
 予め日付が印刷された手帳ではない。ページも右上に日付を書く欄があって,あとは罫線(A罫)が引かれているだけの普通のノートだ。
 日付欄があるノートは普通にあるから,「1日1ページノート」の普通のノートの範疇に属すると思えるんだけども,手帳の棚にあるということは,手帳の販売期間にしか販売しないということだろうか。
 かなり分厚い。たぶん365ページはあるんだろう。それだけ厚くても180度フラットに開く。糸綴じ(4点)の威力だろう。

● 1日1ページは無視して使う。文庫本サイズでもあるし,ほぼ日手帳カバーに収まるだろうと思ったんだけど,厚すぎてちょっと無理っぽい。
 厚いノートを作るには技術が要るのだろう。CampusにもB5サイズなら100枚のがあるのだが,A6にはない。小型で厚いのを作るのは難しいのか。

● とはいえ,厚いノートは百均でも売られている。「B6フリーノート・368ページ」は有名だし,ダイソーの「文庫本と同じサイズのノート」も無印のパクリ感満載だけれども,144枚ながらわりと開き具合がいい。無地なのが文章しか書かない自分的には難だけど,絵心のある人なら飛びつきたくなるんじゃないか。
 つまり,厚いノートを作るのはさほどに難しくないのかねぇ。A6で厚いのがないのは,技術以外の理由によるんだろうか。

● 他に,無印で最も安いであろうA6サイズのこちらも購入してみた。30枚ながらこれも糸綴じ。Campusの無線綴じより安心感があるが,メーカーはたぶんコクヨ。
 そう思う根拠は,紙が測量野帳の“セ-Y21N”とほぼ同じだからだ(まったく同じではない。こちらの方が古紙の含有率が高い)。ま,根拠としては絶対的なものではないけどね。

2018年11月15日木曜日

2018.11.15 ファミリーマートで無印「滑らかな書き味ハードカバーノート」を購入

● 宇都宮駅東口を出てファミマへ。無印良品の文具が見たくなって。ところが,無印の棚は補充がされてなくて,スカスカ。アテがはずれた。
 この店,もとはサンクスだった(と思う)のだが,そんなことも関係あるんだろうか。それとも,無印製品を置くのはやめる方向なんだろうか。文具に関しては,無印以外の普通のメーカー品も売られている。

● でも,棚がスカスカというのはいただけない。スカスカになってからけっこう経っているっぽいのは,なおいけない。
 常時,商品で埋めておかないと。それがコンビニの真骨頂ではないか。スカスカの棚があると,客を引かせてしまうんじゃないのかなぁ。

● 文具でわずかに残っていたのが,「滑らかな書き味ハードカバーノート」2冊。何も買わないで出るのもアレだったので,2冊のうちの1冊を買った。
 無印の店舗で何度も見かけているが,自分には明らかに過ぎた製品であると思っていたし,今も思っている。目下,「開きやすいノート」を使用中なので,無印ノートの品質に疑念は持っていない。使わなくても自分には過ぎているとわかる。
 A6の「開きやすいノート」は96枚で300円なのに対して,こちらはA6より小さいのに,同じ96枚で700円なのだ。いよいよ自分には過ぎている。

● 4点糸綴じ。スピンが1本付いている。幅はモレスキンと同じ。モレスキンより縦長。ゴムバンドは付いていないが,品質では明らかにモレスキンなど問題にしないだろう。
 なのに,3倍のお金を払って,品質粗悪なモレスキンを買う人がいる不思議。ほんとにわからない。それがブランド力というものだと言われれば,そうなのかと答えるしかない。

● のだが,世の中はバカで満ちており,日本も例外ではないのだと考えた方が,直截でわかりやすい。話が早い。
 メーカーの稚拙な宣伝に乗せられ,嬉々として(かどうかは知らないが)お金をさしだす。メーカー以外にもモレスキンを飯のタネにしている人がいて,書籍やネットで情報を発信し,イベントを開催する。まんまとそれに乗っかり,彼らの収入増加に貢献する。そこまでのバカからはいくらふんだくってもかまわないだろう。

● ネットを見ていると,モレスキンを称して,さすがに高級ノートで紙質も製本もしっかりしている,でも値段が・・・・・・,と書いている人がけっこういるのだ。重ねていうが,こういう米と麦の区別もつかない味音痴には,何を食べさせてもかまわないだろう。
 この種の手合は,ノートを使っているのではない。たぶん供給側が作った気分を消費しているのだ。気分の消費にはお金がかかるものだ。

2018年11月14日水曜日

2018.11.14 Postalco Snap Pad に思いを馳せてみた

● ほぼ日の記事(乗組員が手帳を見せ合うというもの)を見ていたら,ポスタルコのA4バインダーが紹介されていた。Postalco Snap Pad というのが商品名らしい。A4とA5がある。
 コピーの裏紙をキチンとセットして,外にも持ち出せるメモ帳に変身させる用具。前に読んだ文具本にもこの製品が紹介されていたので,こういうものがあるのかと知ってはいた。

● 今日,ほぼ日の記事で再度見て,これがメモノートの最終兵器かと思った。使い終えたあとの紙は,コクヨのフラットファイルにでも綴じて保存しておけばいい。要らないのは捨てる。
 ダイソーのクリップボードでも同じ用は足りる。家で使うならこれでいいかもしれない。が,外に持ち出すとなると,クリップボードでは紙が縒れてしまうかもしれない。

● Campus Junior Pencilでサラサラと書いていくのは悪くない気がする。0.9mmの2Bでね。
 最後は鉛筆に戻りたいと思っている。鉛筆を使うとすれば,紙は片面使用に限る。ポスタルコはピッタリだ。

● しかし,その前に,今あるノートと万年筆のカートリッジインクを全部使わなければ。どれだけ長生きすればポスタルコを使えるようになるかな。
 その頃は仕事も完全引退しているから,コピー用紙の裏紙は手に入らないようになっている。裏紙じゃなくて,ヨドバシあたりでコピー用紙を束で買ってきて使えばいいし,もっといい紙を買ってきてセットすればいいわけなんだが。

● というようなことを思ってみた。文具を使うためだけにでも長生きしてみる価値はあるか。