2016年10月12日水曜日

2016.10.12 考えない人にメモは要らない?

● ヒラメキを逃さずにメモせよ,というけれど,ぼくにはヒラメキなんてやってこない。ヒラメいているのに,それがヒラメキと気がつかないだけなのか。

● 量的にはかなり書いている方だろう。愚にもつかないことをたくさん書いているだけなんだが。
 価値あることだけを書こうとすると,頭の中でスクリーニングすることになる。それをすると脳につまらぬ負荷をかける。それはよくないから,スクリーニングしないでとにかく全部書く。その方がいいと思っている。

● 当然,玉石混淆になる。圧倒的に石が多いはずだ。基本,それでいいんだけれども,それにしても玉がなさすぎないか,オレよ。

● なぜメモが大切かと説く場合,ヒラメキはメモしておかないとすぐに忘れるからだ,というのがお約束事になっている。ここがメモへと誘う際の,第一のインセンティブだ。
 しかし,無から有は生まれない。ヒラメキもまた考えるという作業の果てに浮かんでくるものだろう。考えないでいて,ヒラメキを待っていても仕方がない。つまり,考えない人にメモは必要ない。

● ぼくにヒラメキが来ないのも,玉がないのも,そう考えると納得がいく。多くの人はぼくと同様に,考えることを余儀なくされるような生活はしていないと思われるので,メモなんかしても仕方がないのかもしれないよね。
 本当はそうなのかもしれないんだよね。文具メーカーの思惑に踊らされているだけなのかも。ここで文具メーカーを悪役にしてはいけないのだが。

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