2016年7月31日日曜日

2016.07.31 ダイソーの文具売場を覗かなくなった

● 宇都宮駅の周辺だけで文具店は4つある。正確には文具店じゃなくて,文具売場だ。
 駅ビルに入っている八重洲ブックセンターの文具売場。ララスクエア4階のダイソーの文具売場。ララスク5階の落合書店の文具売場。ララスク6階のヨドバシの文具売場。
 これに「さくら平安堂」を加えればもっと増える。

● が,最近,ダイソーはあまり覗かなくなった。ま,今までに比べればってことで,ぜんぜん行かないわけじゃないんだけどね。
 なぜかっていえば,ダイソーで買うものがもうないからだ。

● ダイスキンはひょっとしたら一生困らないだけの在庫がある。メモパッドだの情報カードだのも,使うことはないと知りながら買ってしまっていて,こちらもけっこう在庫がある。
 筆記具も0.9㎜シャープとか細身のホールペンとか,やはり使うあてのないものも含めて,相当買っちゃっていて,もう要らない。
 確実に使っているのは極細フィルム付箋だけど,これもまとめ買いしてあるので,しばらく買わなくても大丈夫なのだ。

● 他の文具店にはそれ以上に行かなくなっている。自分の需要を満たせるだけのノート,ペンなど,必要な文具はすでに保有している。
 こういうのがあれば助かるとか,これがあれば生産性があがるとか,そうした幻想を抱ける文具もない。

2016年7月30日土曜日

2016.07.30 Preppyのあれこれ

● 200円のPreppy1本で何本のカートリッジを消費できるか。今日,36本目のカートリッジを装着したんだけどね。
 Preppyを使い始めた頃は50本は行けるだろうと思っていた。途中でそれは無理かもしれないと思った。が,今はまた50本は余裕で行けるだろうと思っている。

● 途中で浮気をしないで,ずっと“ダイスキン+Preppy”の300円システムの運用を続けていれば,すでに50本に達していたかもしれない。
 そこまでは行っていないとしても,40数本にはなっていただろう。

● これで嵌合がもっとシッカリというか強固なものになれば,さらに安心して使える。でも,200円のPreppyにそこまで求めるのもね。
 Plaisirが要らなくなるもんね。いや,PlaisirとPreppyの購買層はかぶらないか。

● Preppyの次なる楽しみは,その華奢な(チープな)構造のPreppyをだましだまし使い続ける過程で,生じる外見の変化。
 キャップにはセロテープを巻かれ,軸には瞬間接着剤の残滓がくっつき,すでに満身創痍の趣がなくはない。これがPreppyから離れがたくさせる愛着に通じる。

● ところで,Preppyは0.5㎜の中字と0.3㎜の細字とで,あまり線の太さが変わらない。書いているときには違うかなと思うんだけど,あとで書かれた文字を見ると,さほどに変わらないような気がする。
 0.3㎜が細字とはいえ,けっこう太いからだね。

● しかし,書いているときには明らかに違いを感じる。こちらの方が事実として重要でしょうね。つまり,違いはハッキリとあるということ。
 ダイスキンのB罫に書くときには,0.3㎜が使いやすい。もうずっと,これで書いているわけだから。

2016年7月29日金曜日

2016.07.29 PILOT「Elite」とPreppyの使い分け

● PILOT「Elite」のスムーズで滑らかな書き味,かなり魅力的。でも,ダイスキンで使うと,少々だけれども裏写りが見られるよ,と。
 その点,Preppyの書き味は素朴で無骨ながら,ダイスキンでも裏写りはなくきれいに書けるんだよ,と。Preppyで書くとダイスキンが喜んでいるような気がする。

● ということなので,ダイスキンには今までどおりPreppyを使い,それ以外の用途にはEliteを使っていくことにする。
 それ以外の用途ってことになると,主には仕事で使うってことになるね。

● ということは,つまり,仕事で使っていた低粘度油性ボールペンの使用が減ることになる。使用量の合計は一定だから。
 もっとも,ボールペンじゃないと困ることも,仕事だとあるんだけどね。2枚複写になっている紙がまだあるしね。

● ダイスキンではなく,Campusや無印「開きやすいノート」なら,「Elite」を使っても裏写りはないんだろうな。
 「Elite」を使うためだけに,次はそれらのノートに変えてみるかな。

2016年7月28日木曜日

2016.07.28 PILOT「Elite」が届いたよ

● ヤフオクで落札した「Elite」が27日に届いた。わが家にはパイロットのショートカートリッジ(“ダブルスペアインキ”)があってね,それを挿してみたんだけど,挿さらないんだな。
 で,翌日(つまり今日),文具店で売られている普通の長さのカートリッジを買った。こちらは問題なく使えたんでした。
 “ダブルスペアインキ”は捨てるしかないしろものですな。わが家にあったのもだいぶ古そうなものだ。

● ダイスキンに書いてみた。たぶん細字だと思う。が,同じ細字のPreppyよりだいぶ細い。
 ダイスキンに書くと,少し裏に写るようだ。Preppyではまず出ない現象なんだが。
 耐えがたいほどの裏写りではない。たとえば,Preppyで書いたときのモレスキンのような裏写りではない。
 ダイスキンで裏写りが出るという報告を,いくつかのブログで読んだことがあるんだけど,なるほど写るインクもあるんだぁと思いましたよ。

● さて,どうするか。このままダイスキンで使い続けるか。それともダイスキンはPreppyにして,それ以外の用途に「Elite」を使うか。
 耐えがたいほどではないし,気にしなければ気にならない程度ではあるんだけど,気にし始めると気になるんだよねぇ。
 ダイスキンに合わせるのは,今までどおりPreppyにするかなぁ。

● 書き味は「Elite」の方が滑らかだ。18金ペンの然らしめるところですか。
 Preppyでダイスキンの表面を刻むように感じる書き味も悪くないんだけど,「Elite」は刻むというよりスラッと流れるように書ける。この味もけっこうなものだ。

2016年7月27日水曜日

2016.07.27 「Superbook」ってのがあるんだって?

● スマホをノートPCに変えるデバイスらしい。「11.6インチのディスプレイ,フルキーボード,マルチタッチ対応トラックパッドを備えるクラムシェル型ノートPCそのものの形をしたデバイス」。
 単体では何もできない。AndroidをUSB接続して使う。

● それで何が変わるのかといえば,大きな画面でスマホのアプリが使えるのと,入力が格段に楽になる。
 「サイズは19.3×28.7×1.8cm,重さは0.9kg。バッテリ駆動時間は8時間以上あり,使いながら接続したスマートフォンに充電できる」そうだ。けっこう重いんだね。
 どうでしょうか。買いですか,これ。USB接続の外付けキーボードを買うよりはいいかな。

● 実際,たいていのことはスマホでできる。わざわざパソコンを起動しなければならないことは,スマホ以前に比べれば,格段に少なくなっている。
 パソコン並みの大きな画面で使うんだとすると,Androidの場合,Chromeがあればいいですかね。パソコンと同じだ。ライバルはChromebookになるだろうか。

● 「Superbook」が市中に出回るのはまだ先になるんだろうか。すでに外付けキーボードと持ち歩き用のWindowsタブレットはすでに買ってあるんだけど,まるで使っていない。「Superbook」を買ったとしても同じことかなぁ。

2016.07.26 PILOT「Elite」が届いたら

● パイロットの「Elite」が届けば,あたりまえだけれども,「Elite」を使うことになる。Preppyにはしばらく休んでもらわなければならない。
 が,「Elite」の書き味がPreppyに劣るようなら,遠慮なくPreppyに戻すことにする。

● Preppyで困ることは何もないのだからね。Preppyの見るからにチープな外見だけれども,外見のチープさなどもともと気にしちゃいないし。

● それとも1日おきに使おうか。つまりね,Preppyにずっと触れないでいることができるだろうか,ってことなんですけどね。
 「Elite」だって1年やそこらでおシャカになるわけではないだろう。ペンでもパソコンでも,ぼくが使うと長持ちするようなんだよねぇ。5年は使えるだろうな。いくら中古だといっても。
 5年もPreppyから離れているなんて,できそうにないなぁ。

● 中1のとき,「EliteS」を買ってもらった。もったいなくて使えなかった。まったく使わなかったのならいいんだけど,ちょっとしか使わず,高校生になってからも少し使ったんだけど,全部あわせてもカートリッジ1本分にもなっていないのではないか。
 それで,使えなくなってしまったのだった。
 いくらノスタルジーを覚えるとはいっても,Preppyはすでに35本目のカートリッジになっている。「EliteS」とは比べものにならない。

● ノートがダイスキンなら,Preppyでも「Elite」でも同じことのような気がする。ダイスキンにはボールペンより万年筆が似合う。といって,100円のノートなのだから,あまり高価な万年筆は不似合いだ。
 「Elite」も1,400円で落としたものなので,ダイスキンに似合う範囲に充分収まっている。

● カジュアルという言葉を思いだした。カジュアルが好きなのだな,ノートもペンも。
 ただ,ぼくの場合は,カジュアルというときにユルさも込めてしまっている。構えない,やせ我慢をしない,だらしなくてもいい,といったのも含めてカジュアルと言ってしまっているかもしれない。

2016年7月25日月曜日

2016.07.25 PILOT「EliteS」を入手

● 大橋巨泉さんが亡くなって,それを機にPILOT「EliteS」を懐かしんでますよ,と。ヤフオクを覗くと,いくつも出物が出てますよ,と。
 厳密にいうと,パイロットのショートサイズの万年筆の出物がいくつもあるということであって,それがすべて「EliteS」あるいは「Elite95S」なのかどうかはわからない。

● でも,ま,そういうことだとしておこう。そのうちのひとつに入札しておいた。110円で終了間際まで最高額入札者でしたよ。
 もうすぐ終了というところから,グングン値が上がり始めて,結局,これは深追いせずに撤退。太さがM(中字)だったのもその理由のひとつ。FかEFがいいかなと思っておりまして。日本語を書くにはね。

● で,すぐさま別の出物に応札。こちらも間際に少し競ったものの,1,400円で落札できた(ほかに,送料が360円)。
 万年筆に限らず,筆記具は高価なものでも,一度使ってしまうと経済的価値はガクンと下がってしまうんだね。
 自分の名前を入れているのをヤフオクに出品している人もいるんだけど,名前を入れてしまったんだったら,飽きても我慢して使い倒すか,捨てるかした方がいいんじゃないかと思いますね。名前を入れた時点で流通価値は削ぎ落としたことになるからね。

● 今日,代金と送料を振りこんだ。パイロットのショートサイズの中古万年筆が手に入ることになる。これを使うということは,イコールPreppyを使わないこと。
 どうしようか。買っておいて何なんだけど。

● 買った以上は毎日使っていないと調子が悪くなるだろう。Preppyはカートリッジをはずして,ペン先を洗って,しばらく休んでいてもらうことになるか。

2016年7月23日土曜日

2016.07.23 PILOT「EliteS」熱,再び

● 以前,Preppyから出るとすれば,どんな万年筆になるかと考えてみたことがある。そのとき,候補のひとつにあげたのが,PILOTの「EliteS」だ。
 理由はたんなるノスタルジー。中学生になるときに,親に買ってもらった初めての万年筆という,それだけの理由。

● あのCMはかなりインパクトがあって,今も憶えている。先日,その大橋巨泉さんが亡くなった。巨泉さんはPILOTにとって救世主だったに違いない。
 ので,再び,「EliteS」に気が行っている。ヤフオクを見ると,復刻版ではなく当時「EliteS」の出物があるんでした。

● しかも,1,000円で落とせるんじゃないかと思えるようなのもある。カクノと同じ値段だ。もちろん,中古ではあるわけだが。
 その程度の贅沢は自分に許してもいいだろう。

● 「EliteS」はPreppyよりインクが詰まりやすいと思う。毎日使うのが最良の手入れ,というのはPreppyより「EliteS」により一層あてはまりそうだ。
 「EliteS」を使いだしたら,毎日使わなければならない。つまり,Preppyは使えなくなる。

● 毎日使っている方が,週に2日しか使わない場合よりも,製品寿命が長くなる。中学生のときの自分は,使用時間を短くした方が傷みが少なく,したがって寿命が減らないだろうと単純に考えていたバカ者だった(そんなのは鉛筆か消しゴムくらいなんだぞと,当時の自分に教えてやりたいよ)。
 そのために,せっかく買ってもらった「EliteS」に辛い思いをさせてしまった。

2016.07.23 スクラップ帳としての手帳

● 手帳は「書く」のほかに「貼る」という使い方がある。ほぼ日手帳など1日1ページタイプの手帳だと,特にこの「貼る」が有効だろう。「書く」だけではページがスカスカになるんじゃないか。

● 自分自身のことをいうと,ずっとシステム手帳を使ってきた理由のひとつはここにある。スクラップ帳として使うのに便利だから。
 「貼る」ものがいくら出てきても困らない。白紙のリフィルを増やしていけばいいだけだ。

● ところが。今年になってTwitterやFacebookを使い始めると,新聞切抜きはスキャンしてTwitter・Facebookにあげてしまうようになった。
 これがなかなか具合がいい。スキャンした画像だけをあげるわけにはいかないから,何らかの覚え書きを加えることになる。記録としてなかなかいい形になる。

● というわけで,新聞切抜きを手帳に貼ることはなくなっている。手帳の役割はひとつ減った。
 といって,手帳に「貼る」ものがなくなったわけではない。お菓子の包装紙は紙じゃない場合が多い。そういうのはスキャンできない。現物を手帳に貼っておく。
 スクラップ帳として使うとなると,判型は最小でもバイブルサイズか。

● そういうものはノートに貼ってしまうという手もある。そうすれば,手帳も小型でよくなるね。

2016年7月22日金曜日

2016.07.22 B6ダイスキンへの思慕

● 以前,赤のA6ダイスキンの在庫を使ってくれそうな人にもらってもらうという方法で捌いたことがあった。それでも黒を中心にまだかなり残っているので,粛々と在庫減らしに努めていく。
 で,A6を使い切った暁には,B6に手をつけることになる。

● A6ダイスキンとモレスキン・ポケットは同じ判型,同じ紙数だけれども,B6ダイスキンとモレスキン・ラージを比べると,ダイスキンの縦幅が少し小さい。紙数はモレスキンの120枚に対して,ダイスキンは60枚と半分になる。
 細かいことだけれども,かつては72枚だった。ぼくはその頃に在庫をせっせと積み増していたので,72枚の方をたくさん持っている。

● そのB6を使うのはだいぶ先になると思うんだけど,どんな使い勝手になるのかなぁと,想像している。
 といって,ハードカバーであることも同じなら,紙質も同じなので,勝手の大半はすでに体験済みだ。
 大きさがだいぶ大きくなる。これがどの程度の違いを感じさせてくれるか。

● ぼくは3年前に手書き派になってから,A6のノートしか使ったことがない。高橋政史さんは『頭がいい人はなぜ,方眼ノートを使うのか?』において,A6以下の「小さいノート」は「能力にフタをする」ノートだと言っている。
 B6を使って,なるほどそうだった,これならもっと早くから大きいノートを使っておくんだった,と思うことになるのか。それとも,根拠のない無責任なことをほざきやがってと思うことになるのか。

● たぶん後者だろうと思っているので,慌ててB6ダイスキンに行くことはせずに,まずは残っているA6ダイスキンを使っていくことにしようと思っている。

2016年7月21日木曜日

2016.07.21 きだてたく 『日本懐かし文房具大全』

書名 日本懐かし文房具大全
著者 きだてたく
発行所 辰巳出版
発行年月日 2016.07.20
価格(税別) 1,200円

● タイトルどおりに懐かしい文房具が並んでいる。「岡本ノート」ってたしかにあった。思いだした。あったよ。
 書道セットや製図セットもね。製図セットは中学校に入って買わせられたんだった。「技術」の授業で使った。ぼくは手先が不器用なもので,書道も製図も苦手だったので,あまりいい思い出はないんだけどね。

● 憧れ大人文具と称して,いくつか紹介されている。パイロットのエリート万年筆は1968年に発売されたのか。ゼブラのシャーボは1977年。
 ぼくはどちらも使ったことがあるけど,1977年の頃は,ボールペンとシャープペンが一緒になったシャーボがたしかに輝いて見えた。高級品の趣があった。

● 三菱鉛筆のuniは「昭和33年,通常の鉛筆が1本10円のところを1本50円で販売」(p27)されたらしい。
 昭和33年で通常の鉛筆が1本10円? だいぶ高かったんだなぁ。当時の10円って今だといくらになる? 百円? もっと?
 鉛筆に限らず,文具って高かったんだよね,昔は。だから,大事に使ったものですよ。

● ほかに,いくつか転載。

 あの頃の文房具メーカーは,子どもたちが何を欲しがっているのか,明確に見抜いていたのだ。(p9)

 ここでいうあの頃とは,少年たちがフラッシャー自転車に夢中になっていた頃だと思う。見抜くというより,見えやすかった時代だよね。
 大人の世界にだって(価値観の)多様性なんて言葉はなかった。当時の文具メーカーが賢かったわけではない。

 (三菱鉛筆は)よく同紋の三菱財閥グループの企業と誤解されがちだが,これは単に眞崎家の家紋なだけで,財閥とは関係ない。むしろ三菱財閥より早く,三菱マークを使い始めているのだ。(p27)
 文房具というのは,子どもの頃に使ったものをずっと愛用される方が多いんです。例えばのり一つとっても,「ヤマト糊じゃないとダメ」というお客様が必ずいらっしゃる。(p123)

 これはね,いるでしょうね,そういう人が。文房具に限った話じゃないな。

2016.07.21 文房具から事務用品へ

● 『日本懐かし文房具大全』(辰巳出版)の冒頭に次のような文章がある。
 一般に,文房具などの流行というものは,学校ではじまり,学校で終わるものだった。学年が進むにつれ,使う文房具の数は少なくなり,卒業すると,基本的には実用一辺倒の事務用品を使うことが多くなる。せいぜい携帯用のペンと手帳に個性を発揮するのが関の山となる。(p5)
● ここから推測されるのは,文房具は実用一辺倒のものではないということだ。少なくとも,この本ではそのように文房具を定義しているのだろう。
 文房具とは,本来の用途のほかに,それを使って“遊べる”ものである。その中には“集めたくなる”も含まれる。

● となると,文房具を使う時期は,小学生で終わるのが普通かな。中学生になると,実用性一辺倒のものを揃えるようになる。
 ここでも男子よりは女子の方が,実用一辺倒になる時期は遅いというか,遊びを抱えている時期が長いように思う。熟女と呼ばれる時期になっても,遊びを感じさせる文房具を持っている人もいる。

● 男子はさっさと実用一辺倒に行くんだけど,遊びの代わりにステータスを持ちこむきらいがある。ステータスというと大げさかもしれないけれども,文房具の価値のひとつに“金額”を持ちこむ。女子にとってのアクセサリー的機能を文房具に担わせるといいますか。
 ただ,文房具を遊びの直接の素材にするのは,小学生で終わるでしょ。

● してみると,ぼくら大人は「実用一辺倒の事務用品」しか使わずに,小学校卒業以後の長い余生を送らなければならないのか。
 文房具以外の遊びを次々に見つけていくんだから,何も文房具で遊ばなくてもいいんだけどさ。

● しかぁし,大人ともなれば,「実用一辺倒の事務用品」からでも遊びを引きだせるようでありたいと思いますね。文具マニアとか文具ファンとか呼ばれている人たち(の少なくとも一部)は,それができている人たちなのではないかと思う。
 文具を使ってする「知的生産の技術」にではなく,文具を使うことそれ自体が好きなのだ(と思う)。ということは,文具で遊べているということだよ。

2016.07.20 ノートに書く前に手帳に書け

● ダイスキンに書くのは結局,日記になっている。日記なら内容を厳選して,手帳に整理した方がいい。一覧性がはるかに高くなる。

● というわけで,ノートよりも手帳を優先して整理すべきだろうと思うんだけど,この手帳の整理がなかなか億劫だ。
 億劫だと感じるのは,手帳がなくても困らない生活をしているからだ。なくても困らないものをわざわざ書いて整理してっていうのは,どうしたって億劫になる。

● では,なくても困らないのはなぜかといえば,スケジュール管理をしなければならないような生活をしていないからだ。少なくとも,手帳でスケジュール管理をするほどのことはない。
 あとから何があったのかを書いている。つまり,ログを残していることになる。何をしたか,誰と会ったか,何を食べたか,どこで飲んだか,何を読んだか,など。

● それらのログは,畢竟,なくてもいいものだ。という言い方をすると,たいていのものはなくてもいいものになるんだけどね。
 なくてもいいものを書いているんだから,その作業は億劫だよなぁ。

● 若い頃はそうでもなかった。年を取ってくるにつれて億劫になる。残りが少なくなるからだ。
 ログを見直したところで,それを活かせる残りの期間が短い。しかも,ログを見直すと,自分がまったく進歩していないことが明瞭になってしまう。

● ともかく。手帳とノートに書くことに差がないなら,手帳だけにすればいい。結局,手帳が目次でその本体はノートにあるというパターンになるかな。
 しかし,そのパターンはできるだけ壊すようにしなければならないものだろうね。

2016年7月20日水曜日

2016.07.19 道具の力

● ダイスキン,なぜこんなに書きやすいのだろう。紙の色,ほどよいザラつき,Preppyのペン先との相性,紙の色とインクの色の相性。いろんな要因の組合せってことだろうな。
 いつも何かを書いていたい気分になる。道具の力というものだろう。

● その道具の力は,道具の金額には比例しない。ダイスキン+Preppyの300円システムにこれだけ力を感じているのだから。
 また,その道具に内在するものが100%ではなくて,利用者と道具の関係性から立ち現れてくるところが大きいだろう。だから,ダイスキンやPreppyではぜんぜん書く気がわいてこないという人もいて当然だ。

● 道具の品質に比例するわけでもない。ダイスキンよりジークエンスや「開きやすいノート」の方が紙質はいいと思うんだけど,書きたくなるのはダイスキン。

● ペンにしてもそうで,世の中にあまたある万年筆のどれよりもPreppyの使い勝手が勝るなどということのあるはずもない。
 が,ぼくはPreppyにとどまっていて,他に動こうとしていない。品質を考えるなら,動いてみるべきだろう。
 ま,Preppyを料理にたとえると,もっと旨い料理はたくさんあるんだけれども,いつ食べてもどこで食べても「旨い」が安定しているっていうふうではあると思うんだけどね。

● あまり色々考えて問題を複雑にしないで,自分がこれと思ったものを使っていけばいいんだろう。そう割りきって右顧左眄しないことが,道具の力を存分に享受できる方途なんでしょうね。

2016年7月19日火曜日

2016.07.18 プラチナのPlaisirを見る

● 宇都宮でPreppyを販売している数少ない文具売場が,ベルモールの落合書店にある。Preppyも何本か買ってあって,すでに一生分を賄えるのじゃないかとも思うんだけど,Preppyの唯一の弱点は嵌合問題だ。
 今のところは瞬間接着剤療法(?)を用いて,どうにか緩くなった嵌合をカバーしているんだけど。

● ただし,瞬間接着剤療法の有効期間は限られたものになるだろう。いずれは,軸とキャップが締まらなくなるだろう。
 そうなっても,ペン芯は使える状態を維持しているのではないかと思われる。この部分はかなりもちそうだ。

● そうなったとき,どうするか。次のPreppyに乗り換えるか。その準備はできている。
 が,軸はPlaisirに替えるというのも,ひとつの行き方だ。軸とキャップはPlaisirで,ペン芯だけはPreppyのものをそのまま使う。
 ペン芯はPreppyとPlaisirとで共通なのではないか。問題なく相互に使えそうだ。

● そうなると,しかし,Preppyを継続して使っているとは言いがたくなるね。200円のPreppyをだましだましというか,手をかけながら長く使うところに命をかけている(?)ので,Plaisirと合体させるなど,邪道の極みではあるな。

● が,他に手がなくなれば,そのようにして,Preppyのペン芯がダメになるまで使い倒したいものだな。

2016.07.17 ノートに書く分量

● Twitterを始めてから,ノートに書く量が減っている。これは間違いない。ダイスキンに書くかわりに,スマホでチクチク入力していたりする。

● ノートを持ち歩いて手で書くというのは,2013年の6月に始めている。最初に使ったのは,ダイソーの「ペン差し付きカバーノート」。A6サイズだった。最初のこのノートは1冊使うのに4ヵ月かかっている。
 次は無印の「開きやすいノート」。これも3ヵ月。

● だんだん書く量が増えてきて,1ヵ月とちょっとでダイスキンを1冊使い切るようになってきたのだった。
 ので,ジークエンスに4ヵ月かかったのは,元に戻っただけだとも言える。

● たくさん書けばいいというものではない。無理に書いてもゴミが増えるだけだ。ノイズが増えると,後から見返すときに検索しずらくなる。
 だから無理に書くことはないと思うのだけど,以前は手書きすることそれ自体が楽しくて,たくさん書こうと思っていたものだった。

2016.07.16 ダイスキンは本妻,ときどき浮気

● ダイスキンと使っていると,たまには違うものを使いたいと思い,違うものを使うとすぐにダイスキンに戻りたくなる。これを何度か繰り返してきた。
 が,いくつか違うものを使ってきた結果,ダイスキンに飽くことはなくなるかもしれない。浮気の虫が疼くことはなくなるかも。
 そのうえで,すでに膨大にあるダイスキンの在庫を粛々と使っていく,と。

● ぼくの敵は,そちこちの文具店で美しくディズプレイされた各種のノートと筆記具だ。そういうのを見ると,使ってみたくなる。
 でも使ってみると,何だ,これならダイスキン+Preppyがずっといいよ,となるわけで。
 こういうのって,とっくにわかっていることだ。わかっていながら惑わされる。困ったことに,惑わされるって,気持ちがいいものなんだよな。

● が,何度か浮気を重ねてみると,いくら美しくディスプレイされていたって,それほどのものじゃないよ,ということがわかるんでね。
 わかったならわかったように腰を落ち着けたほうがいいよね。

2016年7月15日金曜日

2016.07.15 Preppyに35本目のカートリッジを装着

● ダイスキンに復帰して早々,35本目になるカートリッジをPreppyに装着した。ぼく的には1本の万年筆をこれだけ使うのは初めてのことだ。
 中学生になってから断続的にいくつかの万年筆を使ってきたけれども,高いのも安いのもあったけれども,とにもかくにもこれだけ使い続けるのは初めてのことなんですよ。

● 文具の雑誌やムックでも,花形は万年筆の号だ。多くのユーザーが登場して,それぞれのコレクションを披瀝したり,使い方を語っているけれども,1本の万年筆をどれくらい使っているものなのだろう。
 万年筆というくらいだから,長く使うものなのだろうけど,実際の使われ方ってどうなんだろう。

● それぞれのユーザーに愛用品というのがあって,その1本を大事に使い続けているとすると,現在の万年筆市場は成立するんだろうか。
 コレクション的に必要ないものまで買ってくれるから,現在の市場規模が維持されているように思われる。

● つまり,何が言いたいのかというと,皆さん,じつはそんなに使っていないのじゃないかなぁ,と。
 作家の先生とかはね,別だけれども。

2016年7月14日木曜日

2016.07.14 4ヵ月ぶりにダイスキンへ

● ジークエンスの中紙7枚を残して,今日からダイスキンに戻ることにした。4ヵ月ぶりだ。ダイスキンのちょっとざらついた紙にPreppyを滑らせる快感を久しぶりに味わっている。
 もっとも,ある程度続けてダイスキンを使うと,別なノートを使ってみたくなり,そうするとすぐにダイスキンに戻りたくなるというパターンを続けてきた。ダイスキンに戻ったときの快感は何度も味わっているわけだけど。

● こうしてダイスキンに戻ってみると,デジタル入力なんてのは吹っ飛ぶ感じ。最も軽量かつ最も機敏なモバイルは,ダイスキン+Preppy。
 だから。使っていくぞ,ダイスキン。

● ジークエンスは栃木弁でいうと「もそい」(長持ちする)から,長期の旅行に出るときに持っていくと便利かなと思ってもみたんだけど,いやいや,その場合でもダイスキンでいいな。
 いや,書きやすい。これなら書こうという気になる(といいながら,ジークエンスに替える前から,筆記量は落ちていた)。

● 書きやすさの理由のひとつは,ハードカバーであることだ。1ページ目から安定している。それと,中紙が180度開くこと。
 ジークエンスは使い始めと使い終わりにペコペコしてしまう。見開きに谷ができてしまう。これだけ厚いんだから,当然なのだが。

● 自分の筆記スタイルには横罫が合う。行が揃うこと,空白がきちんと同じ幅で取れていくことの快感。
 ぼくはどうも秩序だった状態が好きなのだ。そういう人って破天荒な発想はできない人,旧例を守る人,保守の人,というイメージがある。自分がそうだから。
 でも,そうじゃない人もいるんだろうな。当然だけど。横罫のノートに几帳面に書くのに,斬新な発想ができる人。

2016年7月13日水曜日

2016.07.13 久しぶりにPreppyを使用中

● 6月16日から24日までノート(ジークエンス)には何の記載もない。25日から再開。その間にSARASAを誰かに貸したか,落としたか。SARASAがどこかに行ってしまった。
 ので,久方ぶりにPreppyを使っている。

● だから何だということはない。ジークエンスにPreppyは合わないということもない。が,Preppyはやはりダイスキンとの相性がいいと思う。
 今月中にはジークエンスを使い終えて,ダイスキンに戻れるはずだ。100円のダイスキンと200円のPreppyを使えることが楽しみだ。

● しかしだね,こうした安物を楽しみにしている(あるいは,楽しみにできる)自分って,少し悲しいかなぁ。
 人生の黄昏期に入っているのは確実なんだから,万年筆でいえばモンブランでもペリカンでもウォーターマンでも好きなのを使えばいいと思うんだよね。ノートも然りだ。

● けれど,好きなものを選ぶとダイスキンとPreppyになる。ダイスキンはいい。モレスキンも実際に使ってみて,その結果,ダイスキンに軍配をあげたのだから。
 でも,Preppyはたまたま使いだしてみたらかなりいいじゃんとなっただけだ。他と使い比べることはしていない。

● でもさ,積極的に他を試してみようとならないんだから,しょうがないね。Preppyも在庫が何本かある。今使っているのは0.3㎜の細字だけれど,その細字があと1本,中字が1本,極細が3本(うち,1本は赤インクのカートリッジを挿して使用中)。
 寿命が尽きるまでに全部は使い切れないかもしれない。大事に使うとけっこうもってくれるもんね。今のだってもう3年目に入っている。まだまだ使えそうだよ。

2016年7月12日火曜日

2016.07.12 入口からデジタルにする件

● ワープロ専用機が出てから,ずっと文字はキーボード入力でやってきた(手帳を除く)。“ノート&手書き”は,ここ4年間ほどの習慣にすぎない。
 したがって,デジタルにするのは先祖返りといってもいいものではあるのだ。

● ただし,“ノート&手書き”は,デジタルからアナログに移行したというにとどまらない変化があったんでした(何を大げさに)。
 それは何かというと,“ノート&手書き”によって初めてモバイル派になったということ。小型ノートとペンをいつでも持ち歩くようになった(それ以前のパソコン入力のときには,外でメモることは絶えてなかったわけだ)。
 といって,出先でメモを取ることはそんなに多くはない。ただし,勤務中でも思いついたことを決まったノートにメモできる。

● ともあれ,手書きにすることによって,ぼくはモバイラーになった。世上言われるモバイラーとはちょっと違った意味で,だけど。
 したがって,デジタルに戻すことになれば,テキスト入力ができる持ち運び可能なデジタル器機ということになる。

● で,過去にもそれを試みたことはある。まず,USB外付けキーボード+スマホ。これはダメだった。途中で接続が切れてしまうことがある。これ,血圧があがるくらいにストレスになる。
 マウスコンピューターのWN891を最近買った。が,どうも使う気にならない。東京のホテルに泊まったとき,持っていって一度だけ使ったけれども,それきりになっている。
 長らくお蔵入りしていたモバイルギア(MC/R330)を引っぱりだしてみた。590グラムくらいだろうか。単三乾電池2本で駆動する。が,これも引っぱりだしたままになっている。

● 最近,ノートへの筆記量が落ちている。じかにTwitterに流すものが増えた結果でもある(それ以上に減っているけどね)。
 Twitterはスマホから流すことが多いんだけど,キーボードで入力できればというのが,WN891購入の理由だ。であれば,WN891を持ち歩いて,Twitterに限らず,テキストを入力しまくればいい。

● が,今までの経験からすると,たぶんそうはならない。そうなるようにしたいんだったら,自分をそこまで追いこまないといけない。
 つまり,ノートもペンも捨ててしまって,イヤでもWN891を使うしかないようにさせることだ。

● ではなぜ,テキスト入力マシンを持ち歩かないのか。じつは自分でもよくわからない。
 ノートに書きつけようと思った大きな理由は,気持ちの憂さをノートに吐きだすためだけれども,キーボードではそれができないかといえば,そんなことはないんでね。
 結局,ノートとペンの方が起動が速いのと,圧倒的に軽いからだろうかねぇ。

● が,ここから抜けださない限り,時とともに使用済みノートは増え続けることになる。どうせ読み返さないまま,まとめて捨てることになるんだよ。そこは見えている。
 少なくともデジタルにしておけば,重量からは自由になれるんだけどねぇ。

2016.07.11 ノートも引っ越し

● 引っ越しが終了した。自宅の近くにアパートを借りてたんだけど,今回,自宅に戻ることになったのだ。
 もともと大した荷物を持ちこんでいたわけではない。最小限度だ。ので,引っ越しも業者の世話になることはなく,自分ひとりでやれた。しかも,車はほとんど使わず,人力で。

● そのときに,溜まっているノート(主にはダイスキン)も運んだ。小さなノートに手書きでアレコレを書きこむようになったのは,2013年の夏くらいからだった(と思う)。アパート住まいをしていた頃。
 A6サイズの小さなノートだし,使い始めてからまだ4年足らずだし,そんなに大量に溜まっているわけではない。

● ではあっても,あらためてまとめて鞄に入れて,アパートから自宅に移動させると,これどうしようかなぁ,と思うんですよね。
 実際,まだ鞄から出していないしね。自宅も内部を大改造中で,並べる場所もまだないんだけど。

● これからも確実に増えていくわけだ。じつは蔵書の大量処分もあわせて進行中で,本は基本的に保存しておく価値はないという結論に今は達している。
 ノートは保存しておく価値があるんだろうか。

● ちなみにいえば,手帳はとってある。が,これまたいつまでも保存しておくものでもないような気がしている。特に,A5システム手帳を使っていたときのものは場所も取るしね。
 といって,スキャンしてデジタル化するという手間をかけるのは,もっとナンセンスだろう。そんな手間をかけるほどの内容はないんだしね。

● というようなことを考えると,入力もデジタルにしてしまった方がいいのじゃないかとなるわけだ。文字しか書かないんだもんね。イラストや図はまず書かない。ほとんど文章でメモする。
 だったら,キーボードでバババーッと打っていった方がいいんじゃない? ノートは補助的に使うことにして。

2016年7月5日火曜日

2016.07.04 百円ショップの強み

● モレスキンに対しては,ダイソーのダイスキンがある。トラベラーズノートに対しては,Seriaのトラベルメモリーズノートブックがある。ライフのノーブルメモに対しては,ダイソーのMEMO PADがある。
 いずれも明らかにパクっている。パクってはいるのだけれど,ダイスキンとモレスキンの価格差は1:17。あとの2つは1:4。しかも,品質差はほぼないといっていい。

● ダイスキンが品質においてモレスキンに劣っているとは思えないし,ダイソーのMEMO PADの紙質に至っては,ほとんど高級紙の趣がある。
 でもって,それだけの価格差があるとなれば,よほどの思い入れがない限り,百均製品に流れることになるだろう。

● で,ぼくはダイソーやSeriaを価格破壊者,イノベーターだと思って支持してきたんだけども,企業としてみればダイソーやSeriaは新参だけれども大企業で,ミドリやライフは古参だけれども小企業なのか。
 その小企業が懸命に開発した商品を,ダイソーやSeriaの大企業が何らの開発費をかけないでそのままパクり,大量生産して全国のいたる所にある自社店舗で大量に売り捌く。そういう図式になっているんだろうか。

● ま,モレスキン社は例外でしょうけどね。で,その例外は,この世から消えてしまってもかまわないと思っているんだけど。

● だとすると,価格に惹かれて百均製品を買うことは,企画者,開発者を葬ることになりかねないのかねぇ。結果的に業界の活力を削いでしまうことになる?

2016年7月3日日曜日

2016.07.03 『ステキ文具-大人かわいい文具たち』

編者 宮崎 多
発行所 KKベストセラーズ
発行年月日 2011.04.27
価格(税別) 743円

● 文具を遊びの道具にしているのは,多くは女性。本書はその女性向けの文具ムック。

● 「わざわざ行きたい文具店」では岡山と中央線沿線にある文具店を紹介している。昭和レトロの趣をたたえているところを取材したようだ。
 中でも岡山の「富士商店」の存在感はすごい。オオーッと思わせる。

● 「手作りを楽しむ」も女性ならでは。男性の多くは機能一点張りというか,デフォルトの機能をどう使うかにしか頭が行かない。ぼくは典型的にそのタイプで,自分に合うように作り替えるという発想がない。
 が,そこに手作りという発想が加わると,楽しみ方の幅と深度がグッと広がる。こういうのは徹底的に自分本位でいいわけで,となると,女性のフィールドということになるのだろう。

● というわけだから,人生や生活を多彩に楽しむという点において,女性が生まれながらに持っている能力の高さはすごいものがある。
 男性諸氏はゆめゆめ対抗心を抱いてはなるまいよ。勝ち目のない戦争を仕掛けるのは愚の最たるものというべきだからね。

2016年7月1日金曜日

2016.07.01 モバイルギアを取りだしてみた

● モバイルギア(NEC)は4台持っていた。ノートパソコンと同じ大きさの700シリーズを1台。カラー画面の500シリーズを1台。電池駆動のモノクロ液晶の300シリーズを2台。300シリーズのうちの1台は“for DoCoMo”。
 そのうち,700シリーズは,処分してしまった。何の問題もなかったんだけど。

● 20世紀の製品だね。当時は10万円程度。打ちやすさを犠牲にしないキーボード。
 当時の言葉でいえばPDAということになるのだろうけど,小型パソコンという受けとめ方が一般的だったのではないか。
 ぼくも1台欲しかったね。でも,買えなかったよね。それを4台も買ったのは,ずいぶん後になってからで,もちろんヤフオク。それぞれ,5千円前後で買っている。

● 欲しくて買えなかったものだから,昔の製品だといえ,嬉々として買い集めたものだ。で,使ったかといえば,ぜんぜん。という,お決まりのコース。
 優秀なキーボードだといっても,パソコンに比べればミスタッチを誘発しやすかったし,今どきのパソコンに比べれば使い勝手もはっきり劣る。

● 当時のモバイルギアは,Officeは最初から入っているし,NECが入れたテキストエディタやボイスレコーダー機能があった(ボイスレコーダーとして使えたのかどうかは知らない)。ネットもメールもできた。
 が,今ではワープロ専用機にしかならない。ワープロ専用機と割りきれば,今でも使えることは使える。

● 少なくとも,ぼくに関していえば,2台目の持ち歩き用はワープロ機能があればこと足りる。別にパソコンがあることを前提にすれば,だけれど。
 ポメラに惹かれたりもしている。ので,昔のモバイルギアを取りだしてみた。一番状態がいいのは“for DoCoMo”。

● でも,やはりストレスが多いね。これで打つのはね。ポメラはどうなんだろうな。サクサクとタッチタイプができるんだろうか。
 マウスコンピューターのWN891も買ったはいいけど,ほとんど使っていない。モバイル器機に憧れはあるものの,実際に使わないんだから,ぼくには要らないモノなんだろうな。
 が,もう少し,バタバタしてみようかね。乾電池で使えるんだしね。