2015年8月20日木曜日

2015.08.20 ダイスキンの使い方に形骸化の兆し?

● なんだかダイスキンが日記のようになってきている。胸のうちに溜まったものを吐きだしてスッキリするという,心の憂さの捨てどころといった役割を担ってもらっていたのだが,最近はほとんど日記のようなものになっている。
 吐きだしてスッキリするという使い方は後退しているようだ。

● それが悪いというわけではないけれども,書く内容が1日のログになってしまってはあまり面白くない。日記の中に鬱憤も含まれるのかもしれないけど,きれい事を書いているような気がする。
 日記からブログのネタが見つかることもあるけれども,その度合も減っているような気がしている。

● だったら,書き方を工夫すればいいだけの話だ。少々,マンネリが兆しているのかもしれない。
 ここをどう立て直していくか。あるいは,自然の流れでこれでいいのか。

● だからといって,ダイスキンに書くことをやめてしまおうとは,髪の毛一本ほども思わない。ずっとダイスキンを使い続けるかどうかは別として,こういうスタイルで書いていくことは,もし許されるのであれば,死ぬまで続けたいと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿