2015年6月12日金曜日

2015.06.12 ダイスキンは自分の吐瀉物であふれているわけだが

● ダイスキンには1日に4~6ページ,文字を吐きだしている。できるだけ自分をキャプチャできればいいと思う。
 が,そういうと言葉はキレイなんだけどね,要はダイスキンに残るのはほとんどが吐瀉物になるわけですよね,自分のね。

● ごく一部は仕事のメモだけど。まぁ,そんなものは少ないわけですよ。だいたいは自分の憂さのはらしどころになっている。
 その吐瀉物をあとから眺める気になるかといえば,あんまりねぇ。

● 基本的に,書いて吐きだすためにノートを使っている。吐きだしたものをデータとして後から活用するなんて端から考えていない。
 結果的に日記に近いものになっているかもしれない。1日の終わりにまとめて書くのじゃなくて,その都度,書きつける日記のようなもの。
 日記を書いている人も多いと思うんだけど,それを読み返している人はそんなに多くはないような気がする。実際のところ,どうなんだろ。日記を読み返す作業って,けっこう辛いような気がするんだけど。ダメな自分と向き合うことと,ほとんどイコールだろうから。

● とすれば,ノートを保存しておく必要はないってことになる。書いたら終わり。使い終えたノートは役割をまっとうしたんだから,捨ててしまってかまわないわけだ。
 それが,捨てられないで保存してるってのは,ノートを捨てるのは自分の過去を捨てることだ,と感じているからなんだろうね。吐瀉物であっても自己愛の対象であるわけだ。

● でもね,今はまだいいけど,これがどんどん溜まっていくわけでね,いつかは捨てることを考えざるを得ないだろうね。
 何といっても,このノートを残したままで死ぬのはイヤだ。死ぬ前には処分しておきたい。自分が奥さんより長生きした場合はこの限りではないけれども。
 デジタルにしようかなぁと間欠的に思うのは,ひとつには,その心配をしなくていいからだ。ワンタッチで消せるもんね。

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