2014年12月26日金曜日

2014.12.26 ノートに投影した自分との対話で日々をうっちゃることができるか

● この前に使っていた赤ダイスキンは,できるだけたくさん書いて,早く使い終えようとしていたところがあった。とにかく,無理にでも吐きだせ,みたいな。
 今は,そうした気持ちは少なくなった。が,吐きだせるのものはどんどん吐きだしていこうという基本は同じだ。

● で,吐きだしやすいのは軽いもので,重いものを吐きだすのは,吐きだすこと自体が難儀というか,踏ん切りがいる行為だなと思っている。

● 内気で引っ込み思案で友だちができにくい性格の子どもが,読書や空想に向かうというのはありそうなことだ。
 そのとき,彼に1冊のノートと鉛筆があったらどうだろう。自分を投影したノート(=外部化した自己)を話し相手にできるだろうか。

● できると思う。ただ,それができる子は,年齢にもよるけれども,何というか,なかなかの子なのだと思う。
 大人でもできない人が相当いるのではないか。たいていは,どうにかして生身の友人,話し相手を作ろうとするだろう。子どもも同じだ。
 自分の内的世界に没頭できるのは,ある種の強さだと思う。

● 自分はできるか。できないだろう。外を気にする。話し相手ができたら嬉しいと思うに違いない。
 これから老境を向かえるにあたって,ダイスキンに投影した自分と語り合うだけで,死ぬまで諦めを伴った心の平安を保てる自信は,ない。

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