2013年9月1日日曜日

2013.09.01 ほぼ日手帳2014-手で書く手帳展。

渋谷ロフト6階

● 今日(9月1日)から10日まで,渋谷ロフトで標記の展覧会が開催されている。主催者は「ほぼ日刊イトイ新聞」。
 「松浦弥太郎さん(『暮しの手帖』編集長),西田善太さん(『BRUTUS』編集長)をお招きし,糸井重里と「手で書くこと」について語ります」というトークショーもあって,それが今日の14時からだった。
 で,行ってきた。松浦さんは,著書もいくつか読ませてもらってて,どんな人なのか直接見たいっていう,デバガメ的な興味もあって。

● 小さな展示だけれども,吉本隆明さんや横尾忠則さんをはじめ,まずよそでは見られないと思われる人のメモや手帳の実物が展示されている。
 まず,ほとんどのメモが鉛筆(かシャープペンシル)で書かれたものだったことが印象的。万年筆やボールペンで書かれたものももちろんあるんだけど。
 
● 梅棹忠夫さんのメモの中に,小鳥の鳴き声を五線譜に写しとったものがあった。文化人類学者って,こういうことまでできなきゃいけないのかと思った。
 っていうか,できない人も普通にいるに違いないけれども,梅棹さんの関心の広さっていうか,貪欲さというか,気のつき方加減っていうか,唖然とさせられる。
 浅葉克己さんの日記にも一驚。しかも,1年分をきちんと製本してある。阿久悠さんの日記もこういうものだったんだろうかなぁ。

● おめあてのトークショー。相当な人出。立ち見客がぎっしり。ぼくもその中のひとり。
 ひょっとすると,ぼくが最年長だったかもしれない。最近,そういうことが多くなった。あれ,この中でオレ,最年長じゃないか,っていうのが。
 3人とも生(?)を見るのは初めて。生でしか伝わってこないものって,当然だけど,ありますね。

● 最後に松浦さんがおっしゃっていたことが印象的。
 「ほぼ日手帳」はこれをどう使うか考えさせてくれる。考える時間を与えてくれる。普通の手帳は,こう使えと手帳自身が指示してくるから,どう使うかは考えなくていい。
 買ってはみたものの使わないで終わってしまったとしても,その考える時間を与えてもらっただけでモトは取れている。こういう商品って少ないし,作ろうと思っても作れないものだ,というような話。

● ご自身が持ち歩いているというペンとメモ用紙を出して見せてくれた。短いシャープペン。芯は0.9ミリでB以上の濃さ。
 そうでないと,思考の速さでメモを取ることができない云々ということを西田さんが言ってたけれども,お三方にしても思考の速さでメモれるのは,よほど体調がいいときに限られるんじゃないかなぁ。

● トークの内容は後日「ほぼ日」で再現掲載されるんだから,それこそメモなんか取る必要はないと思うんだけど,何人かメモを取っている人がいた。大半は女性で,メモの媒体は当然ながら「ほぼ日手帳」。
 ライヴにメモは似合わないよなぁ。と思うものの,大きなお世話だろうな。それぞれの流儀があるもんな。手書きメモの重要性について,トークをしているわけだしな。

● 終了後はロフト地階の文具・手帳売場を覗く。
 腑に落ちないことがあった。文具雑誌が増えたし,普通の雑誌でも文具特集を組むことが頻繁になったと思うんだけど,ぼくの廻りに文具に凝っているらしき人はいない。田舎にいると,状況はかくのごとし。
 が,渋谷ロフトで納得。手帳にしても,田舎ではあまり見かけないモレスキンとかクオヴァディスとか,高級そうなのがあって,そういうところにも人が群がっているのだった。
 若い女性が目立つんだけど,男性も年配者もいる。なるほどこういうことかと思った。
 ビジネス書の9割は大都市圏で売れるって聞いたことがあるんだけど,文具や雑誌も同じことなのか。
 時々は東京に出て,東京の文具売場を覗いた方がいいのかもなぁ。

● 「ほぼ日手帳」は13年前に初めてお目見えしたときに,買うかどうかけっこう迷った末に見送った。以後,縁がないまま今日に至る。ことここに至っては,これからも買うことはないと思う。
 ちなみに,自分が使っているのは能率手帳をシステム手帳にした「Bindex」。能率手帳を含めると,かれこれ四半世紀は使い続けている。オヤジ手帳ですな。それとA6サイズの百円ノートの組合せ(ノートを使い始めたのは数ヶ月前から)。
 格別不満もないので,たぶんずっとこのスタイルで行くことになると思う。

● さきほどの松浦さんの話に異を唱えるわけではないけれど,能率手帳にだって遊びはある。それなりに遊べるもので,どう遊ぶかは使い手次第。
 システム手帳だとリングが邪魔ってことはありますけどね。逆に,このリングが重宝することもあってさ。

● ときどき,デジタルへの完全移行に惹かれることがある。Googleが提供してくれているサービスを使えば,たぶん可能だろう。スマートフォンがあたりまえになっているのも大きい。
 デジタル化に惹かれる理由の第一は,紙の手帳やノートを自分が死ぬ前に処分できればいいけれども,そっくり残してしまったら,ヨメが困るだろうってこと。捨てるに捨てられないし,とっておくには邪魔だし。
 彼女がぼくの手帳やノートをぼくを偲ぶよすがにするとは思えないので,遺族に余計な戸惑いを与えないよう,生前に処分しておくことは,かなり優先度の高い義務だと思っている。
 梅棹さんや浅葉さんのメモや手帳だったら,保存する価値があるだろうけど,ぼくのそれは要するにゴミに過ぎない。

● でも,そうはしないことも自分でわかっている。最低限,手帳は紙。
 デジタルにすると,結局,ブラックボックスに入れたようなもので,見直すことがない。それはつまり,捨てたのと同じこと。いずれは捨てなきゃいけないものだとしても,書くそばから捨てるわけにはいかないからね。

● 『ほぼ日手帳公式ガイドブック』は毎年買ってて,すべて持っている。読んでて楽しいからね,これ。この日も帰りに大宮で途中下車して,大宮にあるジュンク堂書店で2014年版を購入した。
 なんで東京で買ってしまわないんだよ,途中下車なんて余計なことをするんだよ,っていうツッコミはなしでお願いしたい。


(追記 2013.09.03)

 「ほぼ日手帳」は「ことここに至っては,これからも買うことはないと思う」と書いたんだけど,『ほぼ日手帳公式ガイドブック2014』を見てたら,岡本太郎の油絵「建設」をあしらったカバーがラインナップに加わっているではないか。
 これ,欲しい,かなり。価格は6,500円。

 「ほぼ日手帳」って,他の手帳に比べると高価っていうイメージがなくもないような気がするんだけど,本体価格は2,000円。1日1ページの手帳が2,000円というのは,むしろ安いといっていいだろう。

 ともあれ。「建設」カバー,欲しいぞ。どうする? オレ。
 長年連れ添った古女房を捨てられるのか。超保守主義者のオレ,どうするよ。